金的中奉納額 令和5年

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承

おとなの弓日(きゅうじつ)
~流派弓術の継承~
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『金的中奉納額』
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来年4月豊川八幡宮へ奉納
来年5月豊川市一宮砥鹿神社へ奉納
書 梅谷彩雲
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「弓神事 金的と奉納額」
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三河地方は古くから弓が盛んに行われてきた地域である。それは、永禄三年(1560年)三河地方を治めていた徳川家康が武士階級だけでなく一般庶民にも広く弓を奨励した文書「弓の事」を出したことに端を発するとも伝えられている。こうして祭礼の奉納弓射や神社の修繕等に際して弓が引かれることが多くなっていた。弓神事は神社を中心とする村の五穀豊穣、村中安全、無病息災を願う祭礼時に行われ金的を射止めることでその厄難を取り除くことが目的とされている。
そのため金的とは、悪霊災いを象徴しており金的に矢が当たらないと厄が落ちないといった理由から祭りが始められない山車が神社から出られないと言ったこともあったそうである。神事は、大きさ一寸八分の金的と呼ばれる金色の的を安土に掲げ参加者が一本ずつ矢を放ち金的を射抜くものである。金的を射止めたものは本殿にて神主よりお祓いを受け「謹奉鵠中」と記された額を翌年奉納することとなる。この奉納額には、流派・師範名・奉納者氏名・住所等が、「謹奉鵠中」と言う文字とともに入れられ、神社の拝殿や舞台等に掲げられることが多い。一度の祭礼に一人しか掲げることのできない金的中の額を神社に奉納する事は、弓引きにとって名誉なことであり憧れでもあった。こうした弓の神事は、三河地方のみならず隣接する遠江・信濃・恵那地方にも影響を与えたと考えられる。また、弓の神事は地元の住民だけで行われるものではなく、奉納額の出身地を見ると尾張、美濃、信濃、遠江などの弓引きが神事に参加していたことがわかり、弓を介して実に広い地域と交流していたことを知ることができる。また、明治期から昭和初期にかけて弓を引く事は民衆の間にさらに広く普及し、嗜み・楽しみとして弓が盛んに行われるようになっていったことがわかる。こうした弓の神事は現在、金的奉納額からもその実態を知ることができる。『三河風土記 上』によると三河地域において現存する金的中奉納額の中で最も古いものは、岡崎市の六所神社に収められている永禄七年(1564年)のものである。他にも天文十五年(1546年)に奉納された額もあったといわれている。そのため十六世紀半ばには、三河地方の神社で弓神社が行われていたことが分かる。
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金的中奉納額  令和5年

金的中奉納額  令和5年

金的中奉納額  令和5年

金的中奉納額  令和5年

金的中奉納額  令和5年

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