門松

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 「門松」

 本日、我が家に門松が到着した。
この門松は、浜北区の戸田植木さんのお品。
彼らは今年も忙しそうである。

 また、今年の伊藤家の門松は「そぎ」である。
我が家は、「そぎ」、「寸胴」と一年おきに変わるのである。
明日は、伊勢から注連飾りが届く。そして掃除(晦日)、大掃除(大晦日)を迎える。

ちなみに神様を迎えるのは門松を立てるだけでは駄目なのである。
門まで神様が来てくれても家の中が汚いと神様は帰ってしまう。
ちゃんと中まで入ってくれるために家の中も掃除をしお供えをするのである。
もちろん、鎧、兜にもお供えをする。
良い年を迎えるためにはここからが大変な作業なのである。




「門松の由来」
 門松は新しい年がきたことを告げる年神様が、 降りてくる依代(よりしろ)です。
唐の時代の中国で、家の門の前に長寿を象徴する松を飾ったことが起源だとされています。日本では平安時代に始まりました。

「徒然草」にも・・・
 「徒然草」にも「大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ(通りには、松かざりが立ち、晴れ晴れしく正月気分になるのは、たいへんよいものだ)」とあり、平安後期から鎌倉時代にかけては、門松が都の風俗として一般的なものとなっていったようです。

 「時代や文化を反映」
竹に松を添えるという現在の門松の原型が出来上がったのは、室町時代になってからです。竹も長寿を象徴することから、こうしたかたちができあがったと言われています。

 竹の先は、斜めに切った「そぎ」と、節のところで真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類があります。
もともとは寸胴でしたが、「そぎ」は徳川家康公が始めたというもので、家康公生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、対戦相手の武田信玄公に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという説がある。
 また、武士が昔ながらの寸胴、商家がそこから発展させた派手な「そぎ」を好んだとも。
現代においては「そぎ」が多数派になっているのではないでしょうか。 






 

K-mix 歴史逸話 

カテゴリー │遠州鎧仁會

「K-mix 歴史逸話 家康~400年の時を超えて~」 K-mix 静岡エフエム放送(株)


 この程、下記企画内容協力の為、浜松市にあるラジオ放送局に集まり台詞の収録にあたった。
ドキドキ・ワクワクと程よい緊張感での収録ではあったが担当の鈴木さんに心地よくのせられ何とか無事に役目を終える事ができました。  
K-mix 鈴木さん。お誘いとご指導。本当にありがとうございました。
これから、ここからの編集が大変な作業だと思いますが、皆で楽しみにしております。



番組タイトル: 「K-mix 歴史逸話 家康~400年の時を超えて~」
放送日時: 2014年1月5日(日)・19時~19時55分(55分)

http://www.k-mix.co.jp/topics/140105_ieyasu.html

企画内容: 德川宗家十八代当主・徳川恒孝様をお迎えして、
        宗家が考えられる徳川家康公をお聴きしながら番組を進行。
        また、随所に徳川家康公のエピソードをドラマや語りで散りばめます。

ゲスト: 德川恒孝様(德川宗家 十八代当主、公益財団法人 德川記念財団理事長、
              WWFジャパン 公益財団法人世界自然保護基金ジャパン会長)
     
出演: 遠州鎧仁會
ご案内: 鈴木秀明(静岡エフエム放送・アナウンサー)
     






 




 

宗円堂(犀ヶ崖資料館) 煤払い

カテゴリー │遠州鎧仁會

 宗円堂(犀ヶ崖資料館) 煤払い式

 12月22日は、440年前にこの地で起こった三方ヶ原の戦いの日。
そして、今日は毎年のこの日に恒例行事として行われている宗円堂煤払い式の日。
今日は晴天にも恵まれた日曜日。 遠州鎧仁會も、資料館の坂井さんや竹でお手製の煤払い道具を作ってくれたおじさんたちのお手伝い。
こんなこともみんなでやると結構面白い。またできるといいね。宗円堂の煤払い。

来年はでっかい鍋でトン汁でも作るか!




 

守らねばならぬ

カテゴリー │遠州鎧仁會神社・寺・史跡

静岡新聞 びぶれ 2013年12月19日号


「守らねばならぬ」

あの街 この街 記者コラム (静岡新聞社 浜松総局 風間ほえみ)
http://www.vivere.jp/special/special/post_86.php


 浜松市内に残る徳川家康ゆかりの場所の一つに、中区鹿谷町の県指定史跡「犀ヶ崖」があります。
武田軍の猛攻と徳川軍の敗走で有名な「三方原合戦」の古戦場で、のり面は崩落防止工事が施されているものの、雑木が茂る崖は戦国武将の激闘の跡をうかがわせる雰囲気です。

 浜松市は先ごろ、崖の隣接する資料館を来春閉鎖する方針を出しました。
理由は建物の耐震強度不足。資料館に本部を置く郷土芸能「遠州大念佛保会」や地元住民に戸惑いが広がりました。
元は、武田軍をともらうお堂で、地元から寄付を受けた市が30年前に資料館として改修したという経緯がありました。

 犀ヶ崖資料館に限らず長らく地域にシンボルとしてあった建物や碑は各地に数多くあります。
住民が、関係者が、そして行政が維持できないとなれば、廃れゆくものとして片づけてよいのでしょうか。

 今回、市民の戸惑いを受けて鈴木康友市長は「機能を最小限にして再生できないか検討を指示した」と言います。
いきなり閉館んという事態は免れそうですが、文化行政とは何かをあらためて考えさせられました。