小山城/静岡県榛原郡吉田町

カテゴリー │お城My Favorite/私の好きなもの

「小山城」

静岡県榛原郡吉田町片岡2519-1 能満寺山公園内 
http://www.dayclip.com/townyoshida_koyamajyou.html


 当初、今川氏によって遠江南東部の大井川西方に築かれた山崎の砦が事の始まりである。
今川氏を倒した武田氏により、1571年(元亀2年)築城された。
縄張りは馬場信春。城将は大熊朝秀(長秀)。
諏訪原城と共に大井川西方の防衛ラインを形成し、高天神城攻略の為の拠点となった。
また、諏訪原城落城後は高天神城への補給路の要となった。
1582年(天正10年)、甲州征伐のため駿河・甲斐に向け出陣した徳川家康の攻撃を受け落城した。






















 

第十六回 男性のいけばな講座

カテゴリー │杜若会(華道)

 御室流華道 「第十六回 男性のいけばな講座」 杜若会(とじゃくかい)

浜松市茶室松韻亭さんと御室流華道教授・湖風斉裕心先生の企画による男性のいけばな講座の第十六回。


 5月27日(月)、第十六回を数える男性のいけばな講座「杜若会」が開催された。
昨日の花材はカキツバタ。 画像は私の物一枚のみ<(_ _)>

そして今回は、以前師匠の裕心先生が書かれたブログより、
「会」発足!その名は「杜若会」を掲載させていただくことにした。




 <裕心先生ブログより>
9月3日、浜松市茶室松韻亭にて「男性限定のいけばな講座」が無事終了致しました。定員15名で早々に10名近く申し込みがあり、私の個人的な宣伝は自粛気味でした。

松韻亭さんから、会を発足&名前をつけて欲しいという依頼があり、悩みいろいろ候補がありましたが、「杜若会」と命名致しました。
「杜若会」普通のいけばなしている方でしたらカキツバタカイと読むと思いますが、
この会は、『トジャクカイ』と読みます!!←ここ大事。

カキツバタは、『冬水仙、夏カキツ』というくらい生け花では代表的な花材です。
そして、江戸紫の美しい花。

浜松で男子限定の会ということで、浜松と我が家元仁和寺御室流にちなんだ名前がいいなと思い
いろいろ調べてました。
そうすると、尾形光琳が呉服の商いしてる頃に徳川家康の御用達だったことが明らかに。
尾形光琳は、仁和寺とも深く関わりがある人物です。
(尾形光琳の住居が現在、遼廓亭として仁和寺の茶室として使われています。また光琳は仁和寺に出入りがあり法橋という称号を仁和寺が授けたとされています)
徳川家康は言わずとしれた、浜松城の城主です。
そのお膝元のお茶室松韻亭。

尾形光琳と言えば、根津美術館にあるカキツバタの絵が代表作の一つです。

また、もう一つの由来に、谷崎の『刺青』にも出てくる、岩井杜若があります。
岩井杜若とは、歌舞伎役者五世岩井半四郎(1776~1846)杜若は俳名。
毒婦、妖婦の役を得意とした女方の名優です。
現代で言えば、玉三郎さん、もしくは、早乙女太一という感じでしょうか。

仁和寺と徳川(浜松)にゆかりのある光琳と、妖艶なる美を知る者という思いを込めて岩井杜若から、『杜若会』という命名です。
(第3、第4の由来もありますが、ぶれるので省略www)

横のつながりや、基本お仕事をされている方々なので、花鳥風月の筆頭の花を通して、創作的な活動のヒントになって頂けたらとも思っています。

男の文化的な遊びって大事ですよね♪
ってことで、『杜若会』素敵な会になるよう尽力致します。







 

和魂洋才

カテゴリー │騎馬術

  「和魂洋才」 「騎馬術」

  今日は騎馬術の稽古。と言ってもこれはウエスタンスタイルの乗馬である。
 なぜ、ウエスタンスタイルなのかに関しては後日機会があるときに述べるとして、
 久しぶりながら騎乗するということは気持ちのいいものである。
  人馬一体となるよう少しずつ互いの心をひらきながら乗せてもらう。
 今、思うこと。近い将来の形をイメージしつつ稽古に励む。


  和魂洋才(わこんようさい)とは、日本古来の精神を大切にしつつ西洋の技術を受け入れ、
 両者を調和させ発展させていくという意味の言葉である





 

二つの老舗

カテゴリー │My Favorite/私の好きなもの

「二つの老舗」

 仁和寺を後にし、京の老舗を目指す。
元々の目的は下記、鳥彌三さん。
が、しかしお土産を買いたいと言う事で美味しい漬物屋さんを。
村上重本店さんの京漬物。お漬物は大好きである。
鳥彌三さんの料理もとても美味しかったのである。

※それにしてもこの二日間。不思議な事が幾つもありました。
  意味不明ですよね! 私にも今はまだわかりません。


 


「村上重本店」 京漬物
http://www.murakamijyuhonten.co.jp/tsukemono.php
村上重本店では春夏秋冬それぞれに素材の持ち味を生かした京漬物や季節限定の漬物を製造販売しています。


●暖簾の薩摩藩家紋
 丸に十文字は薩摩島津家の紋として有名です。
当店は天保年間創業。(1830-1843)
薩摩藩が京都に進出してきた頃にはすでに開業していました。
実はこんな話が残っています。
幕末、いつの頃のことか、高瀬舟を利用した薩摩の殿様が、 村上重のそばで一休みをされました。
そのとき、 お茶うけにお漬物をお出したところ、その味をたいそう気に入られて、 丸に十の紋の使用を許されたとのことです。
漬物の味に感心して家紋を許したという商標にまつわる民話的な伝承です。
参考文献 「京の老舗」 駒 敏郎 著 駸々堂 京都文庫 出版



 










「鳥彌三」 水炊き

~築220年以上、有形登録文化財にも指定されている老舗料亭~
四条と五条の間で鴨川にかかる橋が団栗橋。
この橋のたもとにある白いスープの水炊きで有名な、創業天明八年木屋町料亭鳥彌三(とりやさ)。
創業以来の歴史の中には鶏好きの坂本龍馬が鶏肉を買い求めに出向いたとも伝えられています。

※後でわかったのですが鳥彌三さんの家紋は私と同じです。











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御室流華道

カテゴリー │杜若会(華道)

●御室流華道●
第97回流祖奉献全国挿花大会



5月19日、御室流華道・第97回流祖奉献全国挿花大会が京都仁和寺にて行われた。
仁和寺は、私達杜若会の御室流家元にあたり、
御殿内には200点以上の花が飾られ、また普段では見学することのできないお茶室でもお茶を頂くことができた。


「仁和寺」
 仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。
山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。
「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、
「御室御所」(おむろごしょ)と称された。
明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、
「旧御室御所」と称するようになった。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。
徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。
当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。


「遼廓亭」
 仁和寺の門前にあった尾形光琳の屋敷から移築
    

「飛濤亭」
 草庵風の茶席で光格天皇好みの茶室
    現在でも皇族系の方のみが使用
   


※ちなみに、一般の方は拝観料が必要
門人とその知人、友人は無料

※画像4枚目=左から秋元さん、真ん中が永井裕心先生
※画像19-20枚目=永井先生のお母様、桂徳庵桃李先生の作品

































 

京にて 弐

カテゴリー │神社・寺・史跡My Favorite/私の好きなもの


 「京にて」 弐



「大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)」
 
 京都府京都市上京区平安京建設時、王城鎮護のため都の方除け守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれたという。江戸期に入り大将軍社と改称、明治期に現名称へと変更された。本来の祭神は大将軍という。
大将軍は陰陽道の方位神であり、とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神であるため、長きにわたり民間の崇敬を集めた。
明治の神仏分離令にて祭神は素盞嗚尊と改められた。社号の「八神社」は、陰陽道の暦神(八将神)を祀るところから来ており、後には素盞嗚尊の御子神八柱の意も重なっている。


















































































































「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」

 
 京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。
通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。
福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。
近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。






 

京にて 壱

カテゴリー │My Favorite/私の好きなもの

 「京にて」 壱


「名代 おめん」
http://www.omen.co.jp/shopinfo.html
鰹のたたきも、おめんも薬味をたっぷりのせてね。



























































































「京都国際ホテル」
http://www.kyoto-kokusai.com/
京都で泊まるなら私はココ。 なんと言っても二条城の目の前なのです。 ココでも不思議な事が。 

























































































「京都 つえ屋」
http://www.e-104.info/

※杖をな~って。前から杖が気になっていたのです。
※私が持っているのは、骨董の弓杖。非常にお高いのです。










 

会津藩墓地・ 金戒光明寺/京都・黒谷

カテゴリー │神社・寺・史跡My Favorite/私の好きなもの



 5月18日。長久手を後にし京へ。
元々他の用向きでの上洛であったがこれも偶然と言うか後で思えば必然であったと言うのか。
ここへと行くこととなる。



  「会津藩墓地・ 金戒光明寺/京都・黒谷」

 金戒光明寺は、幕末には松平容保の会津藩の京都守護職会津藩一千名の本陣にもなり、墓地には会津藩殉職者が埋葬されている。
金戒光明寺のサイトによれば、山上墓地北東には約三百坪の敷地に『会津藩殉難者墓地』が有り、文久二年~慶応三年の六年間に亡くなられた二百三十七霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者百十五霊を祀る慰霊碑(明治四十年三月建立)があり、禁門の変(蛤御門の戦い)の戦死者は、一段積み上げられた台の上に三カ所に分けられ二十二霊祀られている。
会津松平家が神道であった関係で七割ほどの人々が神霊として葬られています。




「西雲院」 侠客「会津小鉄」

 会津小鉄は本名上阪(こうさか)仙吉といい、会津藩松平容保が京都守護職在職中は表の家業は口入れ屋として、裏は、新選組の密偵として大活躍をした。
しかしながら、会津藩が鳥羽伏見の戦いで賊軍の汚名を着せられ戦死者の遺体が鳥羽伏見の路上に放置されていたのを子分二百余名を動員し、迫害も恐れず収容し近くの寺で荼毘に付し回向供養したという。
以後も、小鉄は容保公の恩義に報いんが為に黒谷会津墓地を西雲院住職とともに死守し、清掃・整備の奉仕を続けたという逸話が残っている。








 

長虎合戦祭/愛知県・小牧・長久手

カテゴリー │遠州鎧仁會

 「長虎合戦祭/愛知県・小牧・長久手」

 
 

 5月18日、日進市の高崎さんに会うため愛知へ。
その日はタイミングよく小牧・長久手で長虎合戦祭も開催されていた。
おかげ様で偶然にも多くのお仲間たちに再会。
誰かが言った。 「鎧を着てなくても仲間だね!」 
何となくだが深い一言だった。



ふと思ったことがある。
各城にその城にゆかりのある武将隊が立ち、全国中継で狼煙リレーをしてみたいものだ。
ただし武将じゃないとダメ。 ハッピとかスーツとかダメ。 ゆるキャラもダメ。
「ゆく年、くる年」のお寺みたいにね。
あっ。全国105名城でね。 ギネスのるかな?




「小牧・長久手の戦い」(こまき・ながくてのたたかい)
天正12年(1584年)に羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い





 

第十六回 男性のいけばな講座

カテゴリー │杜若会(華道)

 御室流華道 「第十六回 男性のいけばな講座」 杜若会(とじゃくかい)

浜松市茶室松韻亭さんと御室流華道教授・湖風斉裕心先生の企画による男性のいけばな講座の第十六回。



 昨日の花材は、 杜若(カキツバタ)の生花。
杜若(カキツバタ)はトジャクとも読み会の名でもある。
昨日はその杜若の会である。

 また昨日は、入門証や許状、御室流巻物などを授かる。よりいっそう励まねばならぬ。
 
 それから、本日。 朝の時点では咲いていなかった杜若が。
夕方時、妻が帰宅すると向こうの部屋から「カキツバタ咲いてるよ。きれいにさいてるよ!」??


ホントにきれいに咲いてるんです。青みがかった紫というか。紫がかった青というか。
朝までは、これ咲くのかっていうぐらいかたくなまでのつぼみだったのにね。

私は思いました。ほんとにきれいな自然の色というものはどんなにいいカメラでも映しだすのは無理なんじゃないかって。
そのぐらいきれいに咲いてました。

 でね。これがまた、お軸とかのそばに置くのもいいのですが、鎧の脇にそっと置くのもなかなかいいんですよ。
鎧ってどうしても「強」って感じなんですが、そのそばにそっと「優」があるんです。
ただ「優」じゃなくて、「凛」とした「優」がある。

何かいいんですよ。 日本人に生まれてよかったって思いますね。

では、これにて。







 

長篠合戦のぼりまつり

カテゴリー │遠州鎧仁會

  「長篠合戦のぼりまつり」 愛知県新城市


 毎年恒例5月5日の第48回長篠合戦のぼりまつりに参加。
今年も晴天の下各演武が催された。
演武はどれも最高のものだと思う。青空の下。迫力が違う。
こののぼりまつりも今年はさらにお客さんが増えている。
演武の合間にお客さんと写真を撮ったりしているが関東や関西からのお客様の中にはこのゴールデンウィーク中にここをピンポイントに来場くださるお客さんが多数いた。
 そう聞くと私のいつもの癖が出る。 ここをピンポイントに来場くださるお客さんの為に何が必要で何が出来るかがこちらのポイントなのだ。
また来年来てもらうために。またはここをお勧めしてもらうために…。
やはりそう考えるといくつかある。もし私がお客さんなら。と言う考え!ん~ん。ありますね~。
お客さんも若い人ばかりじゃない。お子様づれもいれば、おじいさんおばあさんを連れたご夫婦なども。
後、カメラマンもいっぱいだ。飲食もな~。と、自分たちのまつりにも言えること。ゆえにヒントもたくさんある。
けどここまで準備するのも大変だしな~。とか考える。
また、このおまつり、あのおまつりでは何を表現したいのかも。その表現のバランスも重要。一つが突出しすぎるのも問題だし。
とかなんとか考えてるとすぐ一日が過ぎる。
まぁ頭はこのぐらいにして、でも今日も楽しかったです。色んな人や仲間、先輩たちにも会えましたし、久しぶりの再会もありました。
ここに来れば鎧仁会や伊藤さんに会えるって方達もいてくれて。嬉しいことですね。
色んなことひっくるめてこういうおまつり、大切にしていかないといけませんね。







 

浜松城 天守門PRとお持て成し

カテゴリー │遠州鎧仁會

「浜松城 天守門PRとお持て成し」


 5月3日 本日は快晴の中、浜松城にて来春完成予定の天守門PRとお持て成しの為出陣。
この日も本当に数多くの来城者の皆様と触れ合うことができました。

 来城者は南から、鹿児島、熊本、福岡、島根、大阪、滋賀、岐阜、愛知、福井、石川、長野、静岡、神奈川、東京、茨城、埼玉、宮城、福島など。
私が印象的だったのは、私たちがこの浜松や近辺の良さや美味しいものを紹介いたします。するとお客様も自分の町や市の良さをアピールするのです。
また中でも面白かったのは宮城県仙台藩の人達。郷土愛が素晴らしい。鎧仁會の中にはその伊達様の鎧を身につけた者がいます。
その者を見つけるやいなや、「あっ~。我らの殿がいる!」と、私を軽くスルー。
 この私は滅多にスル―されることはないのだが…。(いや過去に一度も) けどスル―された。恐るべし伊達。褒めるべきはその家臣。

 そしてもう一つ。歴史に興味のある方が多い。 男性と言うより女性。女性と言うより子供たち。
中でも愛知県の岩井君。小学6年生。好きな武将は徳川家康公。歴代将軍の名前をもらさず言う。家康公の幼名までキッチリ。
恐るべし少年。褒めるべきはその家族。家康公検定の問題は彼に相談するとよいかも。

 
 「岩崎城の高崎さ~ん。彼がそちらに行くそーなので宜しくで~す。」


 あ~っ。 書いていて思い出したことがあるのでショートで後二つ。
これは、私が聞いたことではありませんが、「ここの武将さんたちはみんな優しくていい人達だね」。が一つ。
もう一つは、「あっ。武将が指輪してる」。が一つ。
これは失礼。しかしながら、はずして甲冑着るにはまだ早いもので!(笑)

 お客さんって、面白いですね。 そして楽しいです。
お持て成しをしてるようで、実はいい勉強をさせてもらってる気がいたします。

 本日ご来城の皆様。私たちこそいい思い出をありがとうございました。
またこの浜松城、もしくはどこかのお城、はたまたお祭りやイベントで私たちをお見かけの際には是非お声をお掛け下さいね。
ご来城ありがとうございました。



※浜松城様 ホテルコンコルド浜松様 本日も色々とお世話になりありがとうございました。