遠江・日置⑤ 馬背神社と南宮神社

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遠江日置流はどこへ⑤

『馬背神社と南宮神社』 浜松市天竜区佐久間町

 3月中旬。浜松の友人からの知らせで佐久間町へ。
佐久間町では、浜松の友人とそのまた地元の友人二人が情報提供や道案内をしてくれた。
今回は2か所程を紹介するが、徒歩圏内に数か所。車でも数十分も走れば、かつての矢場や弓道場がいくつもあった。下記画像のコラムにも書かれていたように、ここ佐久間町でも古くから、弓術や弓道は盛んだったようである。
 奉納額の年代は、明治、大正。そして昭和や平成までがあったが、馬背神社には驚いたことに兄弟子の奉納額が存在していた。
この時ばかりは、近いようで遠い、ではなく。遠いようで近いような歴史を感じた。


「馬背神社」
 馬背神社(ませじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区佐久間町中部にある神社。
社名の由来については、当地にあった城が、霧の発生により包み隠れるような現象が確認されたために水巻城と呼ばれた。
また、夕立の時など、馬の背を分けたように雨が降った所と、全く降らなかったところの差ができる場所があった。そのために、馬背と呼ばれるようになった、とも。
 戦国時代の永禄5年(1562年)と永禄10年(1567年)に社殿造営の記録が残る。
江戸時代には諏訪神社と呼ばれた。御祭神は建御名方命・八坂刀売命。
当社境内には、根回り7.5メートル、樹高51メートルの杉が御神木。旧佐久間町では「馬背神社の杉」、現在は「馬背神社のスギ」として、市の天然記念物。

遠江・日置⑤ 馬背神社と南宮神社

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  ※長篠住人 奥平。とは?

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 ※正面右 水野羡博さん 私の兄弟子である

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「南宮神社」
 この南宮神社は山のほぼ頂上付近にある。弓を引くには、よくある一般道があるとするとそこからあぜ道を何分か、いや何十分かを歩いて登り、神社入り口の鳥居にたどり着く。そしてそこからさらに150段にも及ぶ石段を上がる。まぁ~。これが結構キツイ‼
また、昭和の頃までは、お祭り弓だけでなく、御神楽が舞われていたり、子供たちによる奉納相撲が行われたりしていた。ただ、さらに驚いたのは、その奉納相撲の土俵の土は、毎年毎回、何人もの大人たちで土を下から運んだそうである。人力だよ。しかも、お祭りが終われば今度はその土をまた下まで下ろしたというのだ。
「恐ろしいほどのタフさである!」

奉納額は昭和38年~平成8年まで。

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 余談だが、南宮神社の主祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)。とある。
恐らくだがここ佐久間町には昔、久根鉱山があったからだろうか?

「久根鉱山」

 久根(銅)鉱山は18世紀中期、江戸時代中頃に”片和瀬鉱山”という名前で開坑されたのが最初である(片和瀬はこの地方の地名)。その後、明治に入り幾人かの山師達が競うように同鉱山を開発したがいずれも失敗。そうした中で1892年(明治25年)和歌山の原氏等が有望鉱床を発見。原久根鉱山と名づけ採掘するが精錬方法が旧式だったため有害物質を撒き散らしひどい公害で県から操業停止命令が下る。そんな銅鉱山を1899年(明治32年)、足尾銅山の開発に成功した古河市兵衛が買収しとたんに近代化・機械化でたちまち産出鉱量が飛躍的に増大。以後数々の戦争や政変など経て大量の銅を生産したが1970年(昭和45年)閉山、約70年間の銅鉱山の町はここで終焉を迎える。以後観光化の予定もなく写真のような状態で坑水処理だけはされているようだ。

明治33年(1899)に古河鉱業が経営に乗り出した「久根鉱山」の当時の人員は、抗夫と雑夫を合わせて22人。その後、増加の一途をたどり、大正5年(1916)には、抗夫3000人、職員200人を数えました。これが久根全盛の時代です。とある。

遠江・日置⑤ 馬背神社と南宮神社

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※ 印  弓道場とある。(久根鉱山) 

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 ※当時の久根鉱山

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「金山彦神」(かなやまひこのみこと)。
~金属関係から夫婦和合まで、様々な信仰~
 金山彦神・金山姫神を祀る神社は全国に点在している。
鉱石を火で溶かした様が吐しゃ物に似ていることから連想して、鉱山の神となったようだ。
鉱山で働くのは、事故と隣合せであり、山での厳しい生活を余儀なくされる。
金山彦神・金山姫神は鉱山の神として、関連する場所に祀られていることが多い。
 また、鍛冶・鉄鋼の神だとも言われており、尾張鍛冶発祥の地に金山神社(名古屋市熱田区)があったり、多くの鍛冶師たちが崇拝している神である。
鍛冶技法にちなんだ伝統行事「ふいご祭り」が行われる神社もある。
 更に、金属関係とはまた違う信仰も。
伊邪那美命が火之加具土神を生んで女陰を大火傷をした話から派生して安産・子孫繁栄・夫婦和合・下半身の傷病治癒の神としても一部の信仰を集めているようだ。


最後に・・・。
高木さん 長谷川さん 守下さん
色々とご案内頂きありがとうございました。




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