World Autism Awareness Day

カテゴリー │遠州鎧仁會


『World Autism Awareness Day』



4月2日 『世界自閉症啓発デー』

5月12日 『筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)啓発デー』




『4月2日は、世界自閉症啓発デー』


 世界自閉症啓発デーは、自閉症及びそのご家族の方が安心して生活できる社会になることを願って、国連総会で決議されました。
世界各地で様々な取り組みが行われ、国内でも4月2日~8日を「発達障害啓発週間」と定めて、自閉症をはじめとする発達障害について、広く啓発する活動が行われます。

http://happy-autism.com/liubj/
http://www.worldautismawarenessday.jp/htdocs/

 



『5月12日は、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)啓発デー』


 世界啓発デーである5月12日に啓発イベントを開催し、 この病気の存在を多くの方に知っていただきたいです。日常生活が破綻するほどの全身性の難病ですが専門医が極めて少なく、周囲からの偏見や無理解に苦しむ患者に支援の手が届く社会にしたいです。

https://camp-fire.jp/updates/61524#menu





『World Autism Awareness Day』


Please see here≫≫≫ https://www.autismspeaks.org/





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自閉症/筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群 啓発デー

カテゴリー │遠州鎧仁會


★4月2日『 世界自閉症啓発デー 』
★5月12日『 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)啓発デー 』



 遠州鎧仁會では、『自閉症/発達障害』や『筋痛性脳脊髄炎(きんつうせい‐のうせきずいえん)
/慢性疲労症候群(ME/CFS)』の支援と啓発活動に取り組んで参ります。



 『 遠州鎧仁會 × LIGHT SABER BLUE


 高天神社例大祭より(掛川市)・・・LIGHT IT UP BLUE




 『4月2日は、世界自閉症啓発デー』

 世界自閉症啓発デーは、自閉症及びそのご家族の方が安心して生活できる社会になることを願って、国連総会で決議されました。
世界各地で様々な取り組みが行われ、国内でも4月2日~8日を「発達障害啓発週間」と定めて、自閉症をはじめとする発達障害について、広く啓発する活動が行われます。

 http://happy-autism.com/liubj/

 http://www.worldautismawarenessday.jp/htdocs/




『5月12日は、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)啓発デー』

 世界啓発デーである5月12日に啓発イベントを開催し、この病気の存在を多くの方に知っていただきたいです。日常生活が破綻するほどの全身性の難病ですが専門医が極めて少なく、周囲からの偏見や無理解に苦しむ患者に支援の手が届く社会にしたいです。

 https://camp-fire.jp/updates/61524#menu






















 

動画『高天神社例大祭』

カテゴリー │遠州鎧仁會古式砲術(駿府鉄炮衆)

動画 『高天神社例大祭』
 
火縄銃演武=駿府鉄砲衆
お持て成し=遠州鎧仁會




平成30年3月25日(日)
場所/高天神城跡(静岡県掛川市上土方嶺向3136)

◆駿府鉄砲衆火縄銃演武12時~12時30分
場所/高天神城跡 搦手門入口付近

◆遠州鎧仁會お持て成し 13時30分~

『高天神社例大祭』
 高天神社は、高天神城跡にあり、かつての高天神城を守護する神社でした。
この祭礼は、東峰にあった神社を西峰に移したことに始まり、1年に1回、3月最終日曜日に東峰の社(元宮)に神様が里帰りされる行事として行われます。祭礼は桜の見ごろと重なることもあり、毎年多くの見物人でにぎわいます。
 また、高天神城は、駿河・甲斐の武田氏と三河・遠江の徳川氏の領土争いで、戦国末期の激しい攻防が繰り返された場所です。その攻防で重要だった火縄銃の演武も見応えがあります。

『高天神を制する者は遠江を制する』
 高天神城は室町時代、駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築いたとされ戦国時代には駿河・遠江をめぐる武田氏、徳川氏の激しい攻防の舞台となりました。元亀2年(1571年)には、武田信玄が徳川方となった高天神城を攻めており、このときは大規模な戦闘は行われませんでした。
 天正2年(1574年)5月には、信玄の息子勝頼が高天神城に攻め寄せ、徳川方の城主・小笠原与八郎長忠(氏助)は、一ヶ月程の籠城と激しい戦闘の末、開城し武田方に降っています。
天正3年(1581年)5月の長篠の戦い以降、勢力が衰えた武田氏は高天神城を支えきれず天正9年(1581年)3月22日、ついに落城しました。

 「Music-Introduction」
The Unlikeliest of Heroes/Immediate





 

堀尾吉晴研究会

カテゴリー │遠州鎧仁會

『堀尾吉晴研究会』浜松市が名乗り  


中日新聞より

 国宝の松江城(松江市)を築いた戦国大名・堀尾吉晴の生涯を調べる関係自治体の研究会「堀尾吉晴公共同研究会」に、浜松市は二〇一八年度からオブザーバー参加する。浜松城(同市中区)の城主を吉晴が務めたゆかりがあり、浜松城の考古学的な調査をしている市文化財課の鈴木一有(かずなお)・埋蔵文化財グループ長は「われわれの成果を研究に活用してもらい、その成果が浜松市民の利益にもつながれば」と期待する。

 研究会は松江市と、吉晴の出身地の愛知県大口町、吉晴が一時期入った月山富田(がっさんとだ)城跡のある島根県安来(やすぎ)市の市長と町長を中心に、昨年一月に設立された。現在は手紙など一次史料を探すとともに、ゆかりの地を現地調査するなどして研究の土台作りを進めている。
 四月からはテーマを設けて具体的な研究に入る予定。その成果は報告書の作成やシンポジウムの開催、さらに関係するまちの活性化などに生かす方針だ。

 浜松市は長年、浜松城の発掘調査を続け、最近では大規模な石造りの防塁があったことを明らかにする成果を上げた。研究会には市長が加わる正式な参加ではないが、鈴木グループ長は「具体的な研究に入れば、城を切り口に吉晴の足跡を追うことにもなるだろう。新たな史実の掘り起こしが関係自治体の交流につながれば」と語る。
 研究会の事務局がある松江市地域振興課の佐目元昭課長は「しっかりとした研究が最優先であり、堀尾氏ゆかりの浜松市の参加は心強い」と話している。




「堀尾帯刀吉晴」(1543~1611年)

 豊臣秀吉の重臣で秀吉の天下統一に尽力し、近江佐和山(滋賀県彦根市)4万石、次いで浜松12万石を与えられた。
初代城主徳川家康の後、浜松の統治は天正18年から親子2代で10年に及び、土塁が中心だった浜松城を石垣と天守を持つ壮大な城に一変させた。
また、秀吉の晩年には、中村一氏や生駒親正らと共に三中老に任命され、豊臣政権に参与した。
秀吉の没後は徳川家康に接近。関ケ原の戦いで活躍して出雲・隠岐24万石を与えられた子の忠氏とともに月山富田城に入った後、松江に移って城と城下町を整備した。

■ 五大老
徳川家康、 前田利家、 宇喜多秀家、 上杉景勝、 毛利輝元

■ 五奉行
浅野長政、 石田三成、 増田長盛、 長束正家、 前田玄以

■ 三中老
堀尾吉晴、 生駒親正、 中村一氏





堀尾吉晴公銅像


国宝松江城


浜松城 どことなく松江城に似ているような・・・。






平成22年2月 松江城にて 


平成22年2月 出雲大社にて












 

平成30年 高天神社例大祭

カテゴリー │遠州鎧仁會

『高天神社例大祭』


平成30年3月25日(日)
場所/高天神城跡(静岡県掛川市上土方嶺向3136)


◆神事御案内
神楽奉納10時30分/献茶式11時/修抜式13時30分/
遷幸式14時/還霊式14時30分/還幸式16時

◆駿府古式火縄銃演武12時~12時30分
場所/高天神城跡 搦手門入口付近

◆遠州鎧仁會お持て成し 13時30分~



『高天神社例大祭』

 高天神社は、高天神城跡にあり、かつての高天神城を守護する神社でした。
この祭礼は、東峰にあった神社を西峰に移したことに始まり、1年に1回、3月最終日曜日に東峰の社(元宮)に神様が里帰りされる行事として行われます。祭礼は桜の見ごろと重なることもあり、毎年多くの見物人でにぎわいます。
また、高天神城は、駿河・甲斐の武田氏と三河・遠江の徳川氏の領土争いで、戦国末期の激しい攻防が繰り返された場所です。その攻防で重要だった火縄銃の演武も見応えがあります。



『高天神城を制する者は遠江を制する』

 高天神城は室町時代、駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築いたとされ戦国時代には駿河・遠江をめぐる武田氏、徳川氏の激しい攻防の舞台となりました。元亀2年(1571年)には、武田信玄が徳川方となった高天神城を攻めており、このときは大規模な戦闘は行われませんでした。
 天正2年(1574年)5月には、信玄の息子勝頼が高天神城に攻め寄せ、徳川方の城主・小笠原与八郎長忠(氏助)は、一ヶ月程の籠城と激しい戦闘の末、開城し武田方に降っています。
天正3年(1581年)5月の長篠の戦い以降、勢力が衰えた武田氏は高天神城を支えきれず天正9年(1581年)3月22日、ついに落城しました。








 

修羅の都 

カテゴリー │遠州鎧仁會


『修羅の都』
著者/伊東 潤


 新聞連載時から大きな反響を呼んだ
感動の長編エンタテインメント。



◆あらすじ◆

 「武士の世を創る」
生涯の願いを叶えるため手を携えて進む、源頼朝と政子。

平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。
肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた
武家政権・鎌倉府は、しかしやがて時代の波にさらわれ滅びに向かう。

 魔都・鎌倉の空気、海辺の風を背景に
権力者の孤独と夫婦の姿がドラマティックに描き出される。
頼朝晩年に隠された大いなる謎とは?
『吾妻鏡』空白の四年間を解き明かす圧巻のラストは必読!



伊東 潤 公式サイト

http://itojun.corkagency.com/works/shuranomiyako/








浜松出世城まつり/合戦絵巻「三方ヶ原の戦い」にて(平成23年)
 伊東 潤さんと(左から遠州鎧仁會・戸田、伊藤、伊東 潤さん)






 

能/観世流 『船弁慶』

カテゴリー │My Favorite/私の好きなもの


能/観世流 『船弁慶』
  豊田市能楽堂


 先日、友人のお誘いを受け、能・観世流「船弁慶」を鑑賞した。
友人の今回の一押しは、平家の怨霊と化した平知盛の薙刀さばきである。

 実はですね。私、これが観たかったのです。

  いわゆる立ち回り。けど、殺陣のように早いわけではなく。かといって遅くもなく。
一つ一つに間があるというか、呼吸があるというのか。所作というものなのか・・・。
芸なんですよね。こういうのが。お見事でした。

ホント素晴らしかったです。



<船弁慶・あらすじ>

 平家追討に功績をあげた源義経でしたが、頼朝に疑惑を持たれ、鎌倉方から追われる身となります。義経は、弁慶や忠実な従者とともに西国へ逃れようと、摂津の国大物の浦へ到着します。義経の愛妾、静(しずか)も一行に伴って同道していましたが、女の身で困難な道のりをこれ以上進むことは難しく、弁慶の進言もあって、都に戻ることになりました。別れの宴の席で、静は舞を舞い、義経の未来を祈り、再会を願いながら、涙にくれて義経を見送ります。
 静との別れを惜しみ、出発をためらう義経に、弁慶は強引に船出を命じます。すると、船が海上に出るや否や、突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました。なかでも総大将であった平知盛(とももり)の怨霊は、是が非でも義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。弁慶は、数珠をもみ、必死に五大尊明王に祈祷します。その祈りの力によって、明け方に怨霊は調伏されて彼方の沖に消え、白波ばかりが残りました。