正一位秋葉神社

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 「正一位秋葉神社」 

 先週末、ついに秋葉神社に行くことができた。
ここはとても綺麗に整備されている、入口の大鳥居、長い階段づたいの参道、樹齢600年の秋葉杉、そして大好きな金鳥居と拝殿。
東照宮様などの朱と金の色使いももちろん好きだが、ここの配色も渋くて好き。
途中、ふと、比叡山の延暦寺にもどことなく雰囲気が似ていないか?とも思った。
 ここも天空の御社なのだ。  天狗の皿投げも面白い。
 


 秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端に位置する、標高866mの秋葉山の山頂付近にある神社。日本全国に存在する秋葉神社(神社本庁傘下だけで約800社)、秋葉大権現および秋葉寺の殆どについて、その事実上の起源となった神社である。

 
 秋葉山本宮秋葉神社には、古来より多くの日本刀が献納され今に至っている。
『寶物目録』に記された献納者の内、名立たる武将として、伊豫守源 頼義・為朝・足利尊氏・今川仲秋・武田信玄・長曽我部元親・豊臣秀吉・加藤清正・福島正則などの名が挙げられる。
神社に日本刀を奉納する習わしはわが国国有の文化である。武運長久を祈願し、一族の繁栄を念じ、また、その神徳に謝す崇敬の証に他ならない。日本刀は護身の武器として、また鏡の如く研ぎ澄まされた刀身は、清浄なる魂の依拠するところでもあった。献納された日本刀は、平安時代から鎌倉・室町・桃山・江戸の各時代の作があり、製作地は山城・大和・など畿内から、東海道・東山道・北陸道・山陽道・西海道などほぼ全国に亘っている。(太刀は観れない)




 

「亀姫伝説」 箏・小鼓・琵琶の融合

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「亀姫伝説」 箏・小鼓・琵琶 そしてダンスの融合

 箏・小鼓・琵琶はどれも日本の楽器。和楽器で「邦楽」という同じ
カテゴリーに入っていますが実はこれらの3つの楽器が同時に演奏される事は
”本来のスタイル”では「全く無い」と言うこと。
しかも今回はそこにコンテンポラリーダンスが入る。そして雨。自然の音も入ってきました。
どんな内容に…!?

 私は有!だと思いました。面白いしまた是非観たい。聞きたいと思いました。
今度は、鎧装束席、和服席、そして一般席。などと区分けなどして観覧したら
また少し世界が変わって面白いかもしれませんね。



「浜松城幽玄舞台 『亀姫』
~邦楽生演奏とダンス・語りによる亀姫伝説の舞台化~」

荒井靖水(薩摩琵琶) http://biwa-koto.com/
荒井美帆(二十五絃箏) http://biwa-koto.com/
今井尋也(小鼓) http://www.megalo.biz/index.html
織田きりえ(コンテンポラリーダンス)  http://myrtos.exblog.jp/i2/
神谷昌志(解説)

浜松市の茶室「松韻亭」http://www.shouintei.jp/ 











 

「出世丸」と「お助け丸」…犀ヶ崖資料館へ

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 「出世丸」と「お助け丸」…犀ヶ崖資料館へ 

 この度、縁あって 「出世丸」と「お助け丸」は浜松市の犀ヶ崖資料館
にて、展示させていただくこととなりました。

 浜松へお越しの際は是非犀ヶ崖資料館へお立ち寄り下さい。


 「犀ヶ崖資料館」
 http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/saigagake/saigagake.html
 
 犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。
また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。
 浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。
 この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。また,犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある、渓谷で、三方原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。




































 

 
















 

「出世丸 鎧」 「お助け丸 鎧」

カテゴリー │手作り甲冑


  「出世丸 鎧」 

 子供着用鎧として製作。
世に出る、日本人の誇りを持って世界に出る。の意から出世丸鎧と命名。
                  (徳川家康公所用 「金陀美具足」 参考)


 ■「金陀美具足」(きんだびぐそく)とは…。
   
「縁起の良い将軍家の守り鎧」 徳川家康公所用
 実践的な作りでありながら、美しい金箔押しの甲冑であることから、
「金陀美具足」と呼ばれ、徳川代々の守り鎧として、江戸城に保管されていた。

 


 「お助け丸 鎧」 

子供着用鎧として製作。
人を助けることができる真の強さを持って生きる。の意からお助け丸鎧と命名。( 井伊直政公所用 「天衝脇立朱赤塗黒糸威桶川二枚胴具足」 参考)


■「天衝脇立朱赤塗黒糸威桶川二枚胴具足」とは…。

「武士の勇を受け継ぐ赤備の甲冑」 井伊直政公所用(徳川四天王の一人)
 甲冑の王道、平安、鎌倉期の大鎧の時代から最も誉れとされていた。
赤糸威しの鎧。
時代は流れ戦法や、甲冑の姿が変わった戦国時代にも、その誉は、逃げる事も、隠れる事もしない
真っ向勝負をかける赤備として、常に背水の覚悟を持つ、その責任と誇りを持ったモノ達に受け継がれた。

 
 




 

手作り甲冑の製作(稚児鎧編)

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 手作り甲冑の製作(稚児鎧編)

 4月に製作していた、大人用甲冑に続き時間はかかったものの、
何とか稚児鎧(子供用)を製作、完成することができました。

 今回は途中から自宅作業。スペースもなく、準備、段取り等ゴタゴタしましたが完成してよかった。
また、途中の写真もなく後で気がつく始末。 面目ない。
高崎さん。岩崎城の皆さん。色々とお世話になりました。 
やっとできましたよ~! 一応報告です(*^^)v

  あっ、ちなみにこの子達には名前があるんです。
 金色鎧は「出世丸 鎧」   赤色鎧は「お助け丸 鎧」  詳細は後日にて!
 ヨロシコです。






 

師集

カテゴリー │師集

     常に事前に準備せよ
    合戦の前に勝利を決めよ
    矢を放つ槍を合わすは事後処理にすぎぬ








       
      雨降れば要らぬものは流れ
           地固まる


















 

桶狭間古戦場まつり  その弐

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 「桶狭間古戦場まつり」 その弐


 桶狭間の戦いとは…。

 永録3年(1560年)5月12日(旧暦)甲斐の武田、小田原の北條と同盟を結んだ今川義元は、2万5000人の軍を率いて尾張への侵攻を開始しました。
今川勢は海に面した鳴海城(名古屋市緑区)城主に岡部元信、大高城(名古屋市緑区)の守備を鵜殿長照がつとめ、両城は信長攻撃の前線基地としての役目を果たしていました。
これに対して織田信長は鳴海城のまわりに丹下砦(織田信平・飯尾定宗・信宗父子が守備)、中島砦、善照寺砦(佐久間右衛門信盛とその弟左京助が守備)を鳴海城攻略のため築き、大高城に対しては丸根砦(織田勢佐久間盛重以下が守備)、鷲津砦(織田信平・飯尾定宗・信宗父子が守備)を築き兵糧攻めを行いました。
5月17日(旧暦)、桶狭間から北西4キロの沓掛城まで進んだ今川本隊は、大高城に兵糧を送るための先兵として松平元康(のちの徳川家康)を派遣。松平元康隊は大高城に兵糧を届けた後、丸根砦を攻撃し攻め落としました。また、今川勢の朝比奈泰能らは鷲津砦を攻略し落城させました。
丸根砦・鷲津砦落城の報を清須城で聞いた織田信長は、今川の大軍を前に篭城を主張する家臣らの意見をしりぞけ、進軍を決意しました。
織田軍は熱田神宮を経由して桶狭間方面へ軍を進め、鳴海付近で今川軍と小競り合いをしたのち、善照寺砦・中島砦に結集します。
5月19日、丸根砦・鷲津砦攻略成功により勝利を確信した今川本隊は鳴海城を目指し、沓掛城を出発しました。しかし鳴海城へ向かう途中、猛暑による兵の疲労もあり桶狭間で休息をとることになりました。その知らせを受けた織田軍は、兵力が分散し手薄になった今川本陣を急襲。みごと今川義元の首級をあげ織田軍の勝利のうちに桶狭間の合戦は幕を閉じました。
合戦後、鳴海城主の岡部元信は、義元の首級と引きかえに城を明け渡し、大高城にいた松平元康(のちの徳川家康)は今川軍が放棄した岡崎城主として返り咲きました。
戦人塚は、桶狭間合戦における戦死者2500余人を、供養しています。



 桶狭間古戦場まつり 「桶狭間の合戦再現劇」




 

桶狭間古戦場まつり  その壱

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 「桶狭間古戦場まつり」 その壱

 今回は、桶狭間古戦場まつりを視察、見学させていただきました。
豊明市振興商工係の相場さん、桶狭間保存会の内藤さん、スタッフの皆さん。
大変お忙しい中お相手下さいましてありがとうございました。
 どこのお祭りもそうですが、伝統行事の開催、そして継続は大変な事と実感いたしました。
来年は有松絞りまつりも含めゆっくりと遊びに来たいと思います。
本当にありがとうございました。



 桶狭間古戦場まつりとは…。

 桶狭間の合戦に由来する今川義元供養、戦人塚供養祭。
手作りの鎧による武者行列や桶狭間の合戦再現劇が開催され、戦国ロマンがよみがえります。
史跡めぐりツアーやスタンプラリー、豊明太鼓双峰会演技、火縄銃発砲、薩摩琵琶演奏会、資料パネル展などのイベントが催されます。