芸は身を助く

カテゴリー │師集

  剣、弓、火縄、馬乗り
  楽器、舞踊、書、茶、花、着付け
  
  好きなこと、できることは何でもやっておくとよい
 
  「技を身につけよ それを必要とするときがくる」

















 

三方ヶ原の戦いと犀ヶ崖と遠州大念仏

カテゴリー │遠州鎧仁會神社・寺・史跡

 「三方ヶ原の戦い」と「犀ヶ崖」と「遠州大念仏」 

 「犀ヶ崖」は、徳川家康と武田信玄が戦った三方ヶ原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。
 「犀ヶ崖資料館」はもともと、三方ヶ原の戦いによる死者の霊をまつった「宗円堂」というお堂でした。

 また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団【遠州大念仏保存会】」の本部としても、ながく利用されてきました。
浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1983年)には、この建物を資料館として改修し遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。

 この資料館は、「犀ヶ崖古戦場」及び「遠州大念仏」の保護・保存に寄与し、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。


 「遠州大念仏と盆踊り大会」
 とき⇒平成23年7月15日(金)18:30~20:30(小雨決行)
 ところ⇒犀ヶ崖資料館(前庭)
 さんか組⇒小松・名風組(浜北第1支部所属)
        西美薗組(浜北第5支部所属)




 昨日は、犀ヶ崖宗円堂に三方ヶ原の戦いで戦死された方々の慰霊に行ってまいりました。
毎年のことと思いますが、盆踊りも楽しそうでした。
今回の小松・名風組さん、西美薗組さんの大念仏もよかったです。
一言に遠州大念仏といっても、ほんと各組の念仏は違うのですね。すばらしいです。
そして、昨日はまた新たな出会いがたくさんありました。
色々な職業の方々、そして小学生の男の子も。 11月6日。是非、浜松出世城まつりにお出で下さい。

 そしてね。話は変わりますが…。私は思います。
この地で徳川や武田、その戦国に関わる何かをしよう方々は、この時ここえ来るべきではないかと。
そうではないですか? 私も他の地へ行くことがあります。事故なく怪我なく帰ってこれるのは、その地の方々がちゃんと行事をしてくれているからです。
 あまり多くは語りませんが、私はそう思います。














 

犀ヶ崖と宗円堂と遠州大念仏と勝軍地蔵尊

カテゴリー │遠州鎧仁會神社・寺・史跡


 「犀ヶ崖」と「宗円堂」と「遠州大念仏」と「勝軍地蔵尊」

 「犀ヶ崖」は、徳川家康と武田信玄が戦った三方ヶ原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。
 「犀ヶ崖資料館」はもともと、三方ヶ原の戦いによる死者の霊をまつった「宗円堂」というお堂でした。

 また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団【遠州大念仏保存会】」の本部としても、ながく利用されてきました。
浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1983年)には、この建物を資料館として改修し遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。

 この資料館は、「犀ヶ崖古戦場」及び「遠州大念仏」の保護・保存に寄与し、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。


 「遠州大念仏と盆踊り大会」
 とき⇒平成23年7月15日(金)18:30~20:30(小雨決行)
 ところ⇒犀ヶ崖資料館(前庭)
 さんか組⇒小松名風組(浜北第1支部所属)
        西美薗組(浜北第5支部所属)

   
 「勝軍地蔵尊」 
 安間平弥次が家康公より拝領いたしました勝軍地蔵尊が、犀ヶ崖資料館で拝観できます。

 「三方ヶ原の戦い戦死者供養」  
 遠州鎧仁會
 










 

見付の御清水

カテゴリー │My Favorite/私の好きなもの

 「見付の御清水」 

 徳川家康公は室町時代末期の永禄・元亀・天正にかけての十七年にわたり浜松城に在城していた。
そのころの家康公に一早く帰属した武士、安間平弥次。現在の磐田市見付付近において武田家の狼藉を鎮圧するなどの働きをし見付に住居を構える事を許されたという。
以降、江戸期に入り安間家は商人となり、明治初年まで見付に住んでいた。
安間家には代官からの証文が残され、土地の人達に「お證文屋敷」と呼ばれた。

 今現在、その土地では医師片桐智也さんが片桐医院三代目として医院を開業している。
実はその片桐医院さんのお庭には家康公ゆかりの「御清水」がある。
当時よりこのお庭には清水が湧出し年中枯れることがなく、これを平弥次が家康公に薦めたので「御清水」と言われるようになった。また、お気に召された家康公は東海道を往来の際には家で休んでいかれたり、泊まったりもしたという。池のすぐ脇には家康公が休まれたという腰かけ石がある。
また、あるとき組碗や御膳、盃、水指、香炉、さらに勝軍地蔵尊を賜ったという。

  話が前後して申し訳ございません。
 先日大変お忙しいところお話をして下さいました片桐先生。
 本当にありがとうございました。楽しいお話でしたのでつい長居をしてしまいました。
  また遊びに伺います。









 

法多山・万灯祭(静岡県袋井市)

カテゴリー │My Favorite/私の好きなもの

 「法多山(はったさん)・万灯祭(まんとうさい)」 

  法多山・万灯祭に行ってまいりました。
 親切な、ニューヨーク出身の鉱物博士と日本人女性のカップルに出会いました。
 あらためまして…。11月6日は是非浜松城にもおこし下さい。(^^)/


 「法多山」は寺号を尊永寺と称し、高野山真言宗に属し本尊正観世音菩薩は俗に厄除観音として知られています。
神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人は大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。
 本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て特に慶長7年家康公五万石の格式を以って遇せられ、一山十ニ坊の法燈が栄ましたが、明治維新に朱印地返還、十ニ坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。

 「万灯祭」と四万六千日
 法多山では7月10日は一年で最もご利益のある日と伝えられ、その日一日お参りすれば4万6千日分の
ご利益があるといわれます。この日に本尊厄除観世音に灯りを献ずればご利益は倍増するといわれ、
7月9・10日は古くから「万灯祭」と呼ばれ本堂前には何千基もの灯籠が奉納され、夏の夜の境内は幻想的な雰囲気に包まれます。

 「厄除けだんご」 
 法多山名物「くし団子」の由来
 法多山はその昔、神亀2年(725)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山であり勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えた、特に法多山では、毎年正月江戸幕府の武運長久、天下泰平、五穀成就の祈祷を奉修し、祈祷ご符と当地名産品を献上する習わしであった。十三代将軍家定の頃(1854)門前に住する寺士八左エ門の発案による観世音名物団子が登城の土産に添えられたを始めとする。将軍家より「くし団子」と御命名賜り以来、一般参拝客の賞味するところとなり、俗に厄除団子と呼ばれ親しまれ今日に至る。





 

設楽原決戦場まつりと武田家旧温会

カテゴリー │遠州鎧仁會

 「設楽原決戦場まつり」と「武田家旧温会」

 昨日は、設楽原決戦場まつり中の行事でもあります「設楽原の戦い陣没者慰霊法要」に、
ご縁あって武田家旧温会様に帯同し参加いたしました。
 また、法要後、武田家旧温会様と浜松市にあります、犀ヶ崖資料館にも訪問。
大変充実した一日となりました。
(武田家旧温会様は前日、浜松城にもご来城下さいました)



 旧温会会長早川春仁様、武田邦信様(高家武田氏16代目当主)、武田勝巳様、そして旧温会の皆様。
昨日はお世話になり、また皆様には大変よくしていただき本当にありがとうございました。
また皆様にお会いできることを楽しみにしております。 ありがとうございました。