杜若会 「26年度・第二回 男性のいけばな講座」

カテゴリー │杜若会(華道)

 
 御室流華道 「26年度・第二回 男性のいけばな講座」 杜若会(とじゃくかい)

 浜松市茶室松韻亭さんと御室流華道教授・湖風斉裕心先生の企画による男性のいけばな講座の本年度二回目。

 今回、私の選んだ花材は、姫南天にスイートピー、そして薔薇だ!
そして、裕心先生からの差し入れ、「とらや」の羊羹! あッ・・・、写真撮ってねぇ~。

それから、お軸の文字は「慶雲興」。
慶雲とは・・・。「めでたいことの起こる前兆とされる雲」との事。 今回も、お花に和菓子にお軸と。色々と勉強になりますね。







 

Fm Haro

カテゴリー │遠州鎧仁會

  「Fm Haro」  http://www.fmharo.co.jp/

 昨日、急なお誘いではあったが地元のラジオ局、Fm Haroに出演することとなり本日スタジオに行ってきた。
番組名は「カーペンター松井のこんばん話」である。
内容は、出世城まつりと犀ヶ崖資料館の事。
短い時間ではあったが少しでもそれらの事を伝えればと思った。

チャンスを与えてくれた松井さん。そしてクラッチさん。本当にありがとうございました。
また今後とも宜しくお願いいたします。



追記

浜松市ホームページより
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/c-machi/culture_art/saigagake/saigagake.html

 犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。
浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。
この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。
昭和58年4月開館。


 


 

三島へ

カテゴリー │遠州鎧仁會神社・寺・史跡My Favorite/私の好きなもの

   「三島へ」

 
 先週日曜、遠州鎧仁會のメンバーで三島市に入った。
目的は、三嶋大社参拝と佐野美術館で開催されている変わり兜展を見るためだ。
そして、私にとって三島と言えば「北川」! あの北川さんに黙って入るわけにはいかない。(笑) 

 昨年の夏もお世話になりました。
大社や美術館だけではなく、ご自慢のカメラでの記念撮影(ジョーク付)、ランチや懐かしの駄菓子屋さんにまで案内して頂いた。

  「お・も・て・な・し」である。 

遊びに行く、観光地へ行く。そこに石碑、史跡がある。お城、美術館、遊園地でもいい。
しかし、物だけがそこにあるだけでは駄目なのである。
できれば「人」がいてほしい。大そうな事でなくてもいい。挨拶をする。ちょっと声をかける。
そのちょっとなことが、案外ありがたいものなのである。
北川さん、竹本さん、ありがとう!

おっと!佐野美術館「戦国のアバンギャルドとその昇華・兜」展 よかったですよ。
      http://www.sanobi.or.jp/tenrankai_current/











 

「峠越え」 伊東 潤

カテゴリー │遠州鎧仁會

 「峠越え」

●書籍名 「峠越え」

●著者 伊東 潤

●書籍データ
 価格:1680円(税込) 単行本:282ページ 出版社:講談社 発売日:2014年1月9日


●作者からの一言

 誰にとっても問題や悩み事はあります。
問題を抱えて生きているのが人間と言ってもいいでしょう。
しかも、問題の一つを解決しても、新たな問題がすぐに発生します。
生きるとは、問題を解決するための修行ではないかと思うほどです。
しかし眼前の問題から逃避してしまっては、新たな問題に対処する力は養えません。
峠を越えるように、一つの問題を解決していくことによって、人には生きる力が付いてくるのです。
 この物語は、德川家康と言う凡庸な男が次々と立ちはだかる問題を、いかに乗り越えていったかを描いたものです。
歴史を結果から見れば、家康が天下人となったのは、必然のように思えます。しかし実際は苦難の連続でした。
それでも天下が取れたのは己を凡庸と知っているからこそ一歩一歩無理をせず慎重に坂を登っていったからです。
そして最後に「凡庸だからこそ越えられる峠がある」ということに気づいたのです。
この小説を通じて、「凡庸な天下人」家康から学んでいただければ幸いです。


※今の私にとって本当にタイムリーな時期に登場し私のこれからを考えさせられる本となりました。
 作者、伊東さん。 主人公、德川家康。 読まずにはいられません。 この本の為にちゃんと時間をつくり読ませて頂きました。
 私にとっては教科書のような本です。 もちろん内容も面白かった。 桶狭間、三方ヶ原、そして本能寺。その時々の家康。
 
 

 「自分は凡庸だと知った上で、切所を見極める」 

 今年は年頭より自分の道を知らされた年になりました。
 伊東さん。ありがとうございました。
  
 

  












 

「ねずみ小僧 次郎吉」・・・③

カテゴリー │神社・寺・史跡My Favorite/私の好きなもの

  「ねずみ小僧 次郎吉」・・・③

  大泥棒の鼠小僧次郎吉 被害リスト(41大名の7000万円分)/石川県七尾市


 江戸時代後期の大泥棒で「義賊」として芝居や小説などにたびたび登場する鼠小僧次郎吉に金を盗まれた江戸の大名屋敷の「被害リスト」を記した珍しい文書が、石川県七尾市内の旧家かから発見された。同市の市史編さん室が、同市庵町の高橋家の蔵に保存されていた古文書の中から見つけた。文書に記されているのは全国の大名四十一家で、被害総額は二千百両三分、米価を基準に現在の通貨に換算すると約七千万円に上る。


 縦十六センチ、横九十四センチの和紙に「鼠小僧処々江入込盗賊仕金高・御大名御名前附之覚」と題され、被害額と大名の名前が個条書にされている。ところどころ虫食いの穴があるものの、ほとんど判読が可能。

 文章の末尾には、矢田村(現在の七尾市矢田町)の製材業者が江戸に出た際に写し取って来たものを、高橋家の祖先にあたる人物がさらに写した経緯が記されており、天保三年の鼠小僧の処刑前後に、江戸市中で発行されたかわら版が原本とみられる。
 市史編さん室の和田学・学芸員は「鼠小僧の供述から報道されたものを写してきたのではないか。江戸から能登にまで情報が伝わる流れが分かることでも、非常に面白い資料だ」と話している。

 
 江戸から遠く離れた能登半島中央部の石川県七尾市でみつかった鼠小僧による被害を記した今回の文書は、江戸での大泥棒の犯行を克明に伝えている。

 
鼠小僧は生涯に武家屋敷九十九ヶ所に百二十回盗みに入り、計金三千百両余りなどを盗んだとされており、今回の文書でわかるのはその半分ほど。最も被害の多かったのは岐阜の大垣藩で四百両。現在の約千四百万円を一度に盗まれている。
浜松の水野越前守忠邦の屋敷では三十両が盗まれた。何度も被害にあっている大名も多く。二度以上は四十一家中十二家。
中でも佐賀藩の鍋島家には五回も忍び込み、六十から十両づつ計百七十六両(約六百十六万円)を盗んでいる。


文・1997年中日新聞
提供・坂井伸悟(犀ヶ崖資料館)

※画像=石川県七尾市の旧家でみつかった鼠小僧の「被害リスト」を記した文書












 

ねずみ小僧・・・②

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 「ねずみ小僧 次郎吉」・・・②

 鼠小僧次郎吉の供養塔   犀ヶ崖に「教覚蓮善居士」の石碑


 ねずみ小僧次郎吉といえば、芝居や講談や浪速節に登場する、江戸時代は文政の頃の盗賊である。
当時、江戸庶民の間では人気があったとされているが、天保二年(1831年)八月捕えられて処刑され、三八歳の生命を散らした。
そのねずみ小僧次郎吉の墓が浜松市鹿谷町の私立犀ヶ崖資料館の敷地の一角にあるのだから奇妙というか、不思議というか、まことに面白い巷談である。

 ねずみ小僧については実録本としての「鼠小僧実記」がある。
それによると本名は次郎吉、寛政七年(1795年)中村座の木戸番の子として生まれ、成長して鳶の人足となったが、ばくちで身をもちくずし、文政六年(1823年)頃から武家屋敷専門に忍び込むようになり、文政八年(1825年)に一度捕らえられている。
この二年の間に実に二八カ所、三二回にわたって屋敷をあらした。この時は腕に入墨をさせられて追放されたが、その後ふたたび盗みを続け、七一カ所、九〇回も武家屋敷に忍び込んだため、天保二年(1831年)に捕えられ八月十八日に処刑された・・・と記されている。
次郎吉は盗んだ金を貧しい人々に分け与えた?といわれ、このため庶民に受け入れられ、一種の人気者になった。
それに火をつけたのが芝居であった。

 黙阿弥が幕末の退廃的な風潮を背景にして次郎吉をなかば英雄的な芝居に仕立て上げ、さらには歌舞伎にまでもねずみが登場するにあたって、天下の喝采をあびるようになった。そして明治、大正、昭和になって映画やテレビに扱われ、さらに歌謡曲にまでその名がうたわれたのである。ねずみと呼ばれたのは鳶職という特殊な仕事をしていた身軽さから、楽々と武家屋敷に出入りしたため、そのすばっしっかさのたとえからつけられたのであろう。

 浜松市立犀ヶ崖資料館は遠州大念佛の関係の資料を展示しているところで、三方ヶ原古戦場跡の一部である犀ヶ崖の隣接地にあるが、資料館とねずみ小僧の墓とは全く関係はない。資料館が開設される以前から建立されていたもので、そのままの形で今日に至っているのである。

 犀ヶ崖資料館はかつてここにあった宗円堂を市が買収したもので、江戸時代にはここに清雲庵と呼ばれた庵があった。そのことは江戸時代の地誌「遠江古跡図絵」にも絵入りで記載がみられる。今では崖の周辺がすっかりひらけ、崖の一部を埋め立てて道路(姫街道)を直進化するなどし、往時のような昼間でもうす暗かった雰囲気はないが、墓碑や史跡碑の類は昔のままである。

 ねずみ小僧の墓といわれているのは資料館の南側で、德川家康の重臣の一人であった本多肥後守忠真の事績碑の前にある。
三、四基ほどあるほかの墓と一緒に高さ五〇センチほどの台石の上に並んでいるが、ねずみ小僧の墓が一番大きく、目立つ。墓は高さ六〇センチで、根府川石に刻まれたもので、正面に

  天保二年八月十八日   教覚蓮善居士

とある。盗賊の法名としては「居士」の位階は高いような気がするが、調べてみるとこれがまさしくねずみ小僧の次郎吉のものであり、彫られている年紀も次郎吉が処刑された日と一致している。ねずみ小僧の墓は東京両国の回向院にあることは広く知られており、今でもその筋の人達が線香をたむけているといい、山門前の土産品を売る店にも次郎吉にちなんだものが出されている。ではいったい浜松の墓は誰がいつ建立したのだろうか。

 昭和のはじめ頃まで宗円堂の境内には椎の古木が枝をひろげ、それが崖をおおって、崖下はうす暗く、谷底を流れるひと筋の水帯も上からは定かに見えないほどであった。その頃にはここに次郎吉の墓のあることを知る人は少なかった。それが昭和四、五年頃、当時宗円堂に関する諸事全般の世話をしていた渡瀬茂三郎のところへ一人の女性が訪れ「宗円堂の境内にキネズミ吉次郎の墓がありましたが、どうなりました・・・。」とたずねたという。渡瀬もキネズミ吉次郎の話ははじめて耳にしたため、改めて境内を調べたところ、キネズミ吉次郎の墓はなかったが、教覚蓮善居士の墓を発見したという。つまりキネズミ吉次郎ではなくねずみ小僧次郎吉の墓であることが分かったのである。
 
 しかし本物の墓が東京の回向院にあることは間違いないので、供養塔と考えられる。浜松には当時その道の世界の人が多かったから、おそらく明治か大正の頃にこの供養塔を建てたものと考えられるが、供養塔には法名と没年以外なんの刻字もなく、また記録もないだけに、巷談の世界を出ることができないおはなしとなっている。


文・神谷昌志(静岡県教育委員会歴史の道調査執筆委員、社団法人浜松史跡調査顕彰会理事、浜松市浜松城整備専門委員、他)
   

提供・坂井伸悟(犀ヶ崖資料館)



※浜松の歴史をその昔からよく知る大先輩が書き、その資料をきちんと保管している先輩が渡してくれた資料より。








 

ねずみ小僧・・・①

カテゴリー │神社・寺・史跡My Favorite/私の好きなもの

 「ねずみ小僧 次郎吉」・・・①

 この程、NHK木曜時代劇で下記番組がスタートする。
番組自体も楽しみなのだが、鼠と言えば、あそこ! そう、犀ヶ崖資料館にもお墓があった。
このねずみ小僧のお墓。結構あちこちにもお墓があるみたいですね。
新たな時代劇。復活する時代劇。色々と楽しみです。



木曜時代劇
 「鼠、江戸を疾る」

2014年1月9日(木) 20時~(連続9回)
出演 滝沢秀明 他

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/nezumi/






 

K-mix 歴史逸話 家康~400年の時を超えて~

カテゴリー

 
 

  「本日19時 放送! K-mix 歴史逸話 家康~400年の時を超えて~」


 「K-mix 歴史逸話 家康~400年の時を超えて~」
 K-mix 静岡エフエム放送(株)


 この程、下記企画内容協力の為、浜松市にあるラジオ放送局に集まり台詞の収録にあたった。
ドキドキ・ワクワクと程よい緊張感での収録ではあったが担当の鈴木さんに心地よくのせられ何とか無事に役目を終える事ができました。  
K-mix 鈴木さん。お誘いとご指導。本当にありがとうございました。
これから、ここからの編集が大変な作業だと思いますが、皆で楽しみにしております。



番組タイトル: 「K-mix 歴史逸話 家康~400年の時を超えて~」
放送日時: 2014年1月5日(日)・19時~19時55分(55分)

http://www.k-mix.co.jp/topics/140105_ieyasu.html

企画内容: 德川宗家十八代当主・徳川恒孝様をお迎えして、
        宗家が考えられる徳川家康公をお聴きしながら番組を進行。
        また、随所に徳川家康公のエピソードをドラマや語りで散りばめます。

ゲスト: 德川恒孝様(德川宗家 十八代当主、公益財団法人 德川記念財団理事長、
              WWFジャパン 公益財団法人世界自然保護基金ジャパン会長)
     
出演: 遠州鎧仁會
ご案内: 鈴木秀明(静岡エフエム放送・アナウンサー)
     






 




 

法多山尊永寺と三熊野神社

カテゴリー │神社・寺・史跡

 
 「法多山尊永寺」 と 「三熊野神社」

 本日は、久しぶりの法多山と以前から気になっていた三熊野神社に行ってきた。
法多山はお参りともちろん厄除けだんごなのだ。この厄除けだんご美味しんですよね~。
それから今回お目当ての「古代裂御守袋(こだいぎれおまもりぶくろ)」⇒(これ19日用)と法多山のパンフレット。
実はこのパンフの写真は、浜松出世城まつりにも来ていただいているカメラマンの一人の大関さんが撮っている。
出世城まつりのカメラマン!実はレベルが高い方が多いのです。

 そして、三熊野神社へ。
八咫烏さん。ここにいたのか~! やっと会えた。 そして今年初のおみくじ。 八咫烏のおみくじ。 
「大吉」なのだ。 やっぱ今年もツイテルのだ。 



 「法多山尊永寺」
   http://www.hattasan.or.jp/
 法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)は、静岡県袋井市にある高野山真言宗別格本山の寺院。
寺号の「尊永寺」よりも山号の「法多山」の名で広く知られている。遠州三山の1つ。
本尊は聖観音(正観世音菩薩、厄除観世音)。厄除け観音として知られ、厄除だんごが名物となっている。












































































































































































 「三熊野神社」
  http://www4.tokai.or.jp/mikuma/

 静岡県掛川市に鎮座し、近隣には横須賀城がある。
文武天皇の命により大宝年間(8世紀初頭)に創建されたとされている。祭神は伊邪那美命、速玉男命、事解男命の3柱であり、熊野三山から勧請されたとされている。
文武天皇により同時に創建された御前崎市の高松神社、掛川市の小笠神社とともに「遠州の熊野三山」とも称される。






 

平成二十六年 初詣

カテゴリー │遠州鎧仁會

 「平成二十六年 初詣」
 
 

 明けましておめでとうございます。
今年も恒例の浜松五社神社さま初詣に。
五社さまに着くや否や、驚きました。
愛知県一宮の斎藤さんご一家がいるではありませんか!
「伊藤さんに会いにきました!」なんて。会いに来ましたっていう距離ではありませんのにね。
このご家族は本当にフットワークがよいご家族です。
子供たちも大きくなられましたね。剣道に、演劇だそうです。将来が楽しみです。
ぽっくんさん。今日は会えて嬉しかったです。また一緒に甲冑着たいですね!それも楽しみにしております。

 そしてこれもまた恒例の浜松グランドホテルさんにて、骨董市見物と菊菱さんでの昼食会。
菊菱さんの料理!パワーアップしたような気がします。ボリュームがあって美味しい。
それから、花友さん。おこころ尽くし。ありがとうございました。感謝です。

 そして、その後浜松八幡神社さまへ。
で、その帰り際のこと。 仲間の一人に、「伊藤さん今日は一日楽しそうでしたね」と言われた。

 「じゃなにか!今日までは楽しそうじゃなかったって言いてぇのか?」って。(笑)
でも、そうかも。楽しくなかったって訳ではもちろんないのですがね。

 
 
 昨年末から少しづつ努力はしている。自分の心の在り方をね。どうしたら楽しく過ごせるかを。

でないと間に合わない。今年、また何かが変わる。何かが始まる。






 

謹賀新年 平成二十六年

カテゴリー │遠州鎧仁會My Favorite/私の好きなもの


「謹賀新年」

謹んで新年のご祝詞を申し上げます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

平成二十六年 元旦