堀尾吉晴研究会

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『堀尾吉晴研究会』浜松市が名乗り  


中日新聞より

 国宝の松江城(松江市)を築いた戦国大名・堀尾吉晴の生涯を調べる関係自治体の研究会「堀尾吉晴公共同研究会」に、浜松市は二〇一八年度からオブザーバー参加する。浜松城(同市中区)の城主を吉晴が務めたゆかりがあり、浜松城の考古学的な調査をしている市文化財課の鈴木一有(かずなお)・埋蔵文化財グループ長は「われわれの成果を研究に活用してもらい、その成果が浜松市民の利益にもつながれば」と期待する。

 研究会は松江市と、吉晴の出身地の愛知県大口町、吉晴が一時期入った月山富田(がっさんとだ)城跡のある島根県安来(やすぎ)市の市長と町長を中心に、昨年一月に設立された。現在は手紙など一次史料を探すとともに、ゆかりの地を現地調査するなどして研究の土台作りを進めている。
 四月からはテーマを設けて具体的な研究に入る予定。その成果は報告書の作成やシンポジウムの開催、さらに関係するまちの活性化などに生かす方針だ。

 浜松市は長年、浜松城の発掘調査を続け、最近では大規模な石造りの防塁があったことを明らかにする成果を上げた。研究会には市長が加わる正式な参加ではないが、鈴木グループ長は「具体的な研究に入れば、城を切り口に吉晴の足跡を追うことにもなるだろう。新たな史実の掘り起こしが関係自治体の交流につながれば」と語る。
 研究会の事務局がある松江市地域振興課の佐目元昭課長は「しっかりとした研究が最優先であり、堀尾氏ゆかりの浜松市の参加は心強い」と話している。




「堀尾帯刀吉晴」(1543~1611年)

 豊臣秀吉の重臣で秀吉の天下統一に尽力し、近江佐和山(滋賀県彦根市)4万石、次いで浜松12万石を与えられた。
初代城主徳川家康の後、浜松の統治は天正18年から親子2代で10年に及び、土塁が中心だった浜松城を石垣と天守を持つ壮大な城に一変させた。
また、秀吉の晩年には、中村一氏や生駒親正らと共に三中老に任命され、豊臣政権に参与した。
秀吉の没後は徳川家康に接近。関ケ原の戦いで活躍して出雲・隠岐24万石を与えられた子の忠氏とともに月山富田城に入った後、松江に移って城と城下町を整備した。

■ 五大老
徳川家康、 前田利家、 宇喜多秀家、 上杉景勝、 毛利輝元

■ 五奉行
浅野長政、 石田三成、 増田長盛、 長束正家、 前田玄以

■ 三中老
堀尾吉晴、 生駒親正、 中村一氏



堀尾吉晴研究会

堀尾吉晴公銅像
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国宝松江城
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浜松城 どことなく松江城に似ているような・・・。
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平成22年2月 松江城にて 
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平成22年2月 出雲大社にて
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