三方ヶ原の戦い と 犀ヶ崖(さいががけ)の夜襲

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 「三方ヶ原の戦い」 と 「犀ヶ崖(さいががけ)の夜襲」


 戦国乱世を終わらせ、太平の世を築いた徳川家康。その75年の生涯の中、唯一の負け戦として知られるのが「三方ヶ原の戦い」である。家康、時に31歳。 それは九死に一生を得た大敗北であった。
 時は元亀3年12月22日、夕刻。武田軍2万5千に対し、織田信長の援軍3千を加えた、1万1千の徳川家康の軍勢が三方ヶ原で激突。戦いは武田軍の投石攻撃で火蓋が切られた。頭上から落ちてくる石で徳川軍は動揺、そこに武田騎馬隊が一斉攻撃、次々と新手を繰り出す信玄。徳川軍も一度は意地を見せ押し戻すものの怒涛のような武田軍の前に徳川軍はおののき、ついには総崩れとなり敗走。家臣の夏目吉信、本多忠真(ただざね)、鳥居忠廣(ただひろ)、織田方では平手汎秀(ひろひで)、佐脇良之(よしゆき)など、多数の戦死者を出す大敗。家康も這う這うの体で浜松城に逃げ帰る。
 しかし、戦いはまだ終わった訳ではない。武田軍が今にも浜松城に攻め込んで来るやもしれず、それでも家康は逃げ帰ってくる家臣を助け入れるため、城門を開け放ち、太鼓を打ち鳴らし、篝火を焚けと命じる。
この有様に武田軍は、何か策略があるのではないかと危ぶみ、攻撃を見合わせ引き返した。
その夜、勝利した武田軍の一部は、浜松城の北にある犀ヶ崖周辺に夜営をする。この情報をつかんだ徳川軍は火縄銃を集め、武田軍への夜襲を敢行。暗闇のため動揺し、行き場をなくした武田軍は、犀ヶ崖奈落の底へと転落し多くの死者を出した。


 ※以上、三方ヶ原の戦いを簡単にまとめてみた。
また、この話を関連して他に、小豆餅、銭取り、阿弥陀橋、馬上脱糞、稚児小姓暗殺計画、八幡様の楠木、家臣の刀に唾液、空城の計、信玄の偽首、しかみ像、酒井の太鼓、布橋、そして犀ヶ崖のお話など。言い出せば切がない。まだまだある。たくさんある。けどこういうのはいいと思う。伝説、伝承、言い伝え、記録等。あっていい。子供から大人まで。勉強してまた自分なりに考えればいい。教訓にもなる。
けどその中で私が思うに、犀ヶ崖の夜襲に関しては本当にあったと思ってる。もちろん今のところは大まかな出来事としてだが。何故ならこれに関しては、子孫、そして古文書。また家康公から賜った品が現存するからである。


 「浜松歴史発見より(神谷昌志)」 一部抜粋

 系譜によると「姓藤原駿州原党の一族」とみえている。駿河の原党については明らかではない。政定が岡部家に迎えられたのは室町末期の戦国の世、駿河遠江も今川氏の勢力圏にあった時代である。そこへ三河から徳川家康が侵入してきた。家康の遠江入りと同時に政定は徳川への従属を表明した。宇布見村(浜名-郡雄踏町)の中村源左衛門正吉もこのとき徳川に味方し、軍船を手配して徳川軍団の浜名湖横断をたすけた史話は有名である。徳川の一員となった岡部政定は元亀三年(一五七〇)の三方原の戦いや、天正二年(一五七四) と天正四年(一五七六) の北遠犬居城(周智郡春野町)攻めにも加わり戦功をたてている。
「岡部家系譜」に

 政定年来随家康公命勤労 元亀三年三方原合戦之刻、大久保七郎忠世之於火燭山之屯、鉄砲わずか十六挺也、
 因鼓改定引率人数百五十人、10交鉄砲、不意ヲ打七夜中警固、翌朝極月二十三日、家康公費其恩賜来園行御刀也

 三方原の戦いは家康の大敗におわったが、その夜犀ケ屋上に夜営していた武田信玄の兵に、ひそかに浜松城を出た家康の一隊が夜襲をかけ、一矢を報いた作戦は布橋伝説と共に有名であるが、岡部家系譜によると、そのとき犀ケ塵に夜襲をかけた徳川勢というのが、岡部政定ひきいる一五〇名の雑兵隊であったようにうけとれる。系譜に「火燭山」とみえているのは天林寺の西側にある丘陵地といわれている。政定はこの賞として家康より丸龍の具足と来園行の刀を賜ったと系譜にある。
政定が他界したのは元和五年(一六一五)で享年七五歳。この政定に三人の男子があり、それぞれに二家を構えた。それが現在の東中西の岡部家である。そしてその分流から国学の泰斗「賀茂真淵」が輩出されている。岡部家はまさに名流である。


とある。
ここで一つ。太刀の来国行は戦前まで所蔵されていたが戦時中供出されたそうである。
また、この夜襲での死者は、暗闇の為か鉄砲が命中しての死者と言うより、その銃声や奇襲により、犀ヶ崖に転落し死傷した数が多かったとも考えられている。


岡部家に伝わる、兜、鎧

三方ヶ原の戦い と 犀ヶ崖(さいががけ)の夜襲
三方ヶ原の戦い と 犀ヶ崖(さいががけ)の夜襲


犀ヶ崖の絵図

三方ヶ原の戦い と 犀ヶ崖(さいががけ)の夜襲
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