2019年11月14日16:04
『牛久保八幡社・陰祭り』愛知県豊川市≫
カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承│三河日置流雪荷派牛久保矢場
おとなの弓日(きゅうじつ)
〜流派弓術の継承〜
『牛久保八幡社・陰祭り』愛知県豊川市
令和1年9月15日。
愛知県豊川市で開催された牛久保八幡社・日置流雪荷派の神事的に参加。
参加といっても私は、ここ牛久保八幡社の矢場元・山本良輔先生の門人であるから、今回は他流派の弓引きを持て成す側となるのである。
前日からの準備、そして当日は金的神事の御手回し(矢代振り)を担当した。
また、今回の金的は、全日本弓道連盟 教士六段。また、日置流雪荷派でもあります。朝倉康之さんが見事射抜かれました。
『金的神事・矢代振り』
矢代振りとは、金的神事の際の弓士全員の弓を引く順番を決める為の儀式であり、公正を期すために執り行われる。
金的は先に中てた者がその日唯一の的中者となり、その時点で終了する。したがって矢順が先の射手が有利となる。古来より金的中は授かりものと云われ、100人の射手が順番に射込み、3周りしても中らないこともあれば、先頭の射手の最初の甲矢で的中といったことも起こる。そのため矢順を決める為の矢代振りの儀式は大変重要となる。
浦上栄著「弓道及び弓道史」にも見られるように日弓連の前身である武徳会も初期の頃(明治の初めの頃)まで、矢代を振って矢順(立順)を決めていた。その記述によると、お祭り弓に残る矢代振りとほぼ同じと思われる。しかし、日弓連に於いて現在は行われていないのが現状である。古流弓術は明治以後の武徳会やその後の日弓連の「弓道」へと収斂される過程で、一部の例外を除いて消滅してしまった。そのため東三河においても現在、矢代矢を持つ弓士は古流を継ぐ者だけとなっている。
また、矢代矢を用いた儀式や作法は伝承通りに行う事によって、様式として洗練されていることや、神事を公平かつ、すみやかに進行させることができるのである。
※御手回しとは、矢代振りで並べられた矢代矢を、順番に読み上げる作法である。
「弓祭り」
愛知県東三河地方に古くから伝わる「お祭り弓」と呼ばれる神事を紹介します。
戦国時代に徳川家康の予備軍として、 百姓、町人が弓を引くことを許可されたこの地域は江戸時代から「勧進的」という射会が神社仏閣において開催されてきました。当時は庶民の大きな娯楽のひとつだったようです。
また、日置流雪荷派、日置流印西派、大和流などの古流弓術の伝統も残しています。
日本の様々な歴史や文化は私たちに残された財産です。継承していくことが大切だと思います。
※詳しくはコチラ⇒『弓祭り』http://www5b.biglobe.ne.jp/~fes/index.htm#kin






〜流派弓術の継承〜
『牛久保八幡社・陰祭り』愛知県豊川市
令和1年9月15日。
愛知県豊川市で開催された牛久保八幡社・日置流雪荷派の神事的に参加。
参加といっても私は、ここ牛久保八幡社の矢場元・山本良輔先生の門人であるから、今回は他流派の弓引きを持て成す側となるのである。
前日からの準備、そして当日は金的神事の御手回し(矢代振り)を担当した。
また、今回の金的は、全日本弓道連盟 教士六段。また、日置流雪荷派でもあります。朝倉康之さんが見事射抜かれました。
『金的神事・矢代振り』
矢代振りとは、金的神事の際の弓士全員の弓を引く順番を決める為の儀式であり、公正を期すために執り行われる。
金的は先に中てた者がその日唯一の的中者となり、その時点で終了する。したがって矢順が先の射手が有利となる。古来より金的中は授かりものと云われ、100人の射手が順番に射込み、3周りしても中らないこともあれば、先頭の射手の最初の甲矢で的中といったことも起こる。そのため矢順を決める為の矢代振りの儀式は大変重要となる。
浦上栄著「弓道及び弓道史」にも見られるように日弓連の前身である武徳会も初期の頃(明治の初めの頃)まで、矢代を振って矢順(立順)を決めていた。その記述によると、お祭り弓に残る矢代振りとほぼ同じと思われる。しかし、日弓連に於いて現在は行われていないのが現状である。古流弓術は明治以後の武徳会やその後の日弓連の「弓道」へと収斂される過程で、一部の例外を除いて消滅してしまった。そのため東三河においても現在、矢代矢を持つ弓士は古流を継ぐ者だけとなっている。
また、矢代矢を用いた儀式や作法は伝承通りに行う事によって、様式として洗練されていることや、神事を公平かつ、すみやかに進行させることができるのである。
※御手回しとは、矢代振りで並べられた矢代矢を、順番に読み上げる作法である。
「弓祭り」
愛知県東三河地方に古くから伝わる「お祭り弓」と呼ばれる神事を紹介します。
戦国時代に徳川家康の予備軍として、 百姓、町人が弓を引くことを許可されたこの地域は江戸時代から「勧進的」という射会が神社仏閣において開催されてきました。当時は庶民の大きな娯楽のひとつだったようです。
また、日置流雪荷派、日置流印西派、大和流などの古流弓術の伝統も残しています。
日本の様々な歴史や文化は私たちに残された財産です。継承していくことが大切だと思います。
※詳しくはコチラ⇒『弓祭り』http://www5b.biglobe.ne.jp/~fes/index.htm#kin






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