2017年12月06日21:09
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今川復権① 「今川範国と磐田市福王寺」
今川範国
西条吉良氏の庶流である今川氏という小領主もいいところの、さらに今川基氏の五男という立場から一気に国持ち大名まで出世を遂げた駿河今川氏の祖である。
足利高氏の鎌倉幕府からの離反から付き従っているが、彼ら今川氏の最初の出番は中先代の乱である。足利直義は敗走の末に足利氏第二の本拠地である三河で立て直しを図り、京都から進軍してきた足利尊氏と合流するが、その中に今川氏も混じっていた。
小夜中山の戦いで敵軍の大将名越邦時を、長兄・今川頼国が討ち取るほどの活躍を見せた今川氏は、まず長兄・今川頼国、三兄・今川頼周が相模川の戦いで戦死、次兄・今川範満も小手指原の戦いで戦死、そして四兄は早くに出家していたため、いきなり今川範国一人になってしまったのである。
とはいえ、今川範国は兄たちの勲功も併せて駿河、遠江の守護になったのだ。その後も範国は足利尊氏に従い新田義貞、北畠顕家らと戦い、室町幕府成立に関わる戦いには必ず参加している。そもそも駿河、遠江自体宗良親王が拠点を構えていた南朝勢力の活発な地域であり、そんな重要地域を任されるほど尊氏からの信頼は厚かったのである。
そして観応の擾乱では甥の丹後・因幡守護今川頼貞が足利直冬につき没落したのに対し、当然足利尊氏につき薩埵峠の戦いでは軍功をあげ、幕内での地位を確かなものにした。1353年に家督と守護職を嫡男今川範氏に譲ると隠居しようとするが、尊氏の強い要請で政界に復帰し引付頭人を務めるなど幕政を支えた。1384年没。
磐田市福王寺の石塔
今川範国は1384年に亡くなり、磐田市見付の定光寺にほ葬られた。定光寺は現在の東定光寺山にあった寺で廃寺跡に「今川様・五輪様」と呼ばれる石塔が残っており、現在は範国の墓として福王寺に移築されている。
福王寺は今から1000有余年前に真言宗高野山の末寺として建立。その後、500有余年前の文安元年(1444)に天翁義一禅師を迎え曹洞宗に改宗。爾来法灯連綿として現在に至っている古刹である。
寺の寺号「風祭山」と称する云われは、古文書によると開創当時の永観2年(984)に遠州一帯に暴風が来襲した時、たまたま京都から諸国行脚の途次に来遠していた陰陽師安倍清明のご祈祷によって、暴風を鎮められ多くの人々の災難を救われたとある。
このことによって福王寺の山号を「風祭山」と称し、それ以来、毎年3月8日に風祭りの行事が行われている.なお、ご祈祷の旧跡が境内の西の小高い所に今も苔むして残っている。
ご本尊聖観世音菩薩(重要文化財)は行基菩薩作と伝えられる秘仏である。
福王寺⇒ http://enshu33.com/all-guide/%E7%A6%8F%E7%8E%8B%E5%AF%BA/




















今川範国
西条吉良氏の庶流である今川氏という小領主もいいところの、さらに今川基氏の五男という立場から一気に国持ち大名まで出世を遂げた駿河今川氏の祖である。
足利高氏の鎌倉幕府からの離反から付き従っているが、彼ら今川氏の最初の出番は中先代の乱である。足利直義は敗走の末に足利氏第二の本拠地である三河で立て直しを図り、京都から進軍してきた足利尊氏と合流するが、その中に今川氏も混じっていた。
小夜中山の戦いで敵軍の大将名越邦時を、長兄・今川頼国が討ち取るほどの活躍を見せた今川氏は、まず長兄・今川頼国、三兄・今川頼周が相模川の戦いで戦死、次兄・今川範満も小手指原の戦いで戦死、そして四兄は早くに出家していたため、いきなり今川範国一人になってしまったのである。
とはいえ、今川範国は兄たちの勲功も併せて駿河、遠江の守護になったのだ。その後も範国は足利尊氏に従い新田義貞、北畠顕家らと戦い、室町幕府成立に関わる戦いには必ず参加している。そもそも駿河、遠江自体宗良親王が拠点を構えていた南朝勢力の活発な地域であり、そんな重要地域を任されるほど尊氏からの信頼は厚かったのである。
そして観応の擾乱では甥の丹後・因幡守護今川頼貞が足利直冬につき没落したのに対し、当然足利尊氏につき薩埵峠の戦いでは軍功をあげ、幕内での地位を確かなものにした。1353年に家督と守護職を嫡男今川範氏に譲ると隠居しようとするが、尊氏の強い要請で政界に復帰し引付頭人を務めるなど幕政を支えた。1384年没。
磐田市福王寺の石塔
今川範国は1384年に亡くなり、磐田市見付の定光寺にほ葬られた。定光寺は現在の東定光寺山にあった寺で廃寺跡に「今川様・五輪様」と呼ばれる石塔が残っており、現在は範国の墓として福王寺に移築されている。
福王寺は今から1000有余年前に真言宗高野山の末寺として建立。その後、500有余年前の文安元年(1444)に天翁義一禅師を迎え曹洞宗に改宗。爾来法灯連綿として現在に至っている古刹である。
寺の寺号「風祭山」と称する云われは、古文書によると開創当時の永観2年(984)に遠州一帯に暴風が来襲した時、たまたま京都から諸国行脚の途次に来遠していた陰陽師安倍清明のご祈祷によって、暴風を鎮められ多くの人々の災難を救われたとある。
このことによって福王寺の山号を「風祭山」と称し、それ以来、毎年3月8日に風祭りの行事が行われている.なお、ご祈祷の旧跡が境内の西の小高い所に今も苔むして残っている。
ご本尊聖観世音菩薩(重要文化財)は行基菩薩作と伝えられる秘仏である。
福王寺⇒ http://enshu33.com/all-guide/%E7%A6%8F%E7%8E%8B%E5%AF%BA/




















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