伊奈本多氏を偲ぶ月見の宴 2016

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 「伊奈本多氏をを偲ぶ月見の宴」 愛知県豊川市

 10月15日(土) 愛知県豊川市にて、「徳川三つ葉葵紋発祥ゆかりの地」である伊奈城趾にて「伊奈本多氏をを偲ぶ月見の宴」が開催され、日置流雪荷派の具足弓演武に同行した。
会場では私達日置流具足弓演武の他、伊奈本多氏の供養。ススキの穂がゆれ篝火が灯るなか、伸開太鼓や少年剣道。そして剣詩舞。詩吟や尺八と民謡などが披露された。
 


 「葵の紋」発祥ゆかりの地  伊奈本多家の「立葵」と徳川家の「三つ葉葵」

 伊奈本多家の家紋は「立葵の紋」で、これは「フタバアオイ=二葉葵」という植物を 紋章にしたものである。
この「フタバアオイ」は、京都の賀茂神社の神紋とされていた。
本多家の先祖の 中務光秀が賀茂神社の社職であったことから、「立葵の紋」を本多家の家紋としたと いわれている。
 享禄2年(1529)岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)は、吉田城(豊橋市)を攻めた。 当時の伊奈城主の本多正忠は、清康軍に参加し, 先陣をきって東門を破り、城を攻め落とした。ついで清康は軍を田原城へ向かわせたが、城主の戸田氏が降伏したので、正忠は直ちに清康を招き伊奈城に凱旋し、祝宴を開いた。
 この祝宴に、正忠は城下の花ヶ池にあった水葵の葉を敷いて酒肴をだしたところ、清康は大そう喜びした。
立葵は正忠の家の門なり、此度の戦に、正忠最初に御方に参て、勝軍しつ、吉例也、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり。
      ―― 「藩翰譜」(新井白石編) ――

 この記述を裏付けるように、岡崎市の随念寺にのこされている清康の肖像画 (岡崎市指定文化財)には、 「立葵の紋」が描かれている。
このように、本多家から松平家の家紋となった「立葵の紋」が、徳川家康の代に 「三つ葉葵の紋」となったと伝えられている。
これが、小坂井町が「葵の紋」 発祥ゆかりの地といわれる由縁である。
      伊奈史跡保存会

               photo by Hideki-H Ritsuko-I "Thanks"




伊奈本多氏を偲ぶ月見の宴 2016

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