2014年03月24日23:28
冑佛伝説≫
カテゴリー │遠州鎧仁會
「冑佛伝説」(かぶとぼとけ) 冑佛伝説/著者:河村隆夫
「小さな歴史と大きな歴史の交錯の中から」 茂木健一郎(脳科学者)
河村隆夫さんがふとしたきっかけで先祖代々伝えられてきた冑佛(かぶとぼとけ)と出会い、歴史の闇に埋もれていたこの「小さきもの」を白日の下に呼び戻すまでの経緯は、それ自体が一つの見事な物語のようです。「冑佛など、見たことも聞いたこともありません」という専門家たちの頑ななまでの否認から、ついにはNHK大河ドラマの一シーンに姿を現すまで、その紆余曲折に満ちたストーリーは、「冑佛」という存在のかわいらしさや切なさと相まって、人々の心に深く訴えかけるものがあるのではないでしょうか?
「本文より」 河村隆夫
冑佛。それは戦場で、ご先祖様が兜の中にいれて戦った仏さま。
静岡県金谷町の河村家に伝わるこの伝承が、これからおこるすべての出来事の発端だった。
冑佛といいつたえられてきたちいさな仏像が、歴史のとざされた扉をひらく秘密の鍵とは、まだ誰も知らなかった。
全国各地の戦国期の甲冑を所蔵していそうな美術館、博物館にかけつづけた。
「冑佛など、見たことも聞いたこともありません」
仙台博物館
「似たようなものはあるが、私は出張で、十二月十日すぎでないと帰ってこない」
山形県、上杉神社
「上杉家に伝わる『御懸守』がそれによく似ている。厨子は二つあるが、その資料をコピーして郵送しましょう」
京都国立博物館
「戦国期の武将が、前立てに何をつけてもおかしくはない。その人が信じている神仏を身につけ戦場におもむくのは考えられないことではない」
上杉謙信の菩提寺、越後の林泉寺
「兜守りは十五体ぐらいありますよ。一寸から一寸半くらいの小さな仏さまです。足軽は仏のすがたやお経を木版刷りにしてお守りにした。もうすこし位が高くなると、木像を腰につるしたりした。
ただ、厨子に入っているものは見たことがない。よほど位の高い武将のものだろう」
冑佛伝説より
「小さな歴史と大きな歴史の交錯の中から」 茂木健一郎(脳科学者)
河村隆夫さんがふとしたきっかけで先祖代々伝えられてきた冑佛(かぶとぼとけ)と出会い、歴史の闇に埋もれていたこの「小さきもの」を白日の下に呼び戻すまでの経緯は、それ自体が一つの見事な物語のようです。「冑佛など、見たことも聞いたこともありません」という専門家たちの頑ななまでの否認から、ついにはNHK大河ドラマの一シーンに姿を現すまで、その紆余曲折に満ちたストーリーは、「冑佛」という存在のかわいらしさや切なさと相まって、人々の心に深く訴えかけるものがあるのではないでしょうか?
「本文より」 河村隆夫
冑佛。それは戦場で、ご先祖様が兜の中にいれて戦った仏さま。
静岡県金谷町の河村家に伝わるこの伝承が、これからおこるすべての出来事の発端だった。
冑佛といいつたえられてきたちいさな仏像が、歴史のとざされた扉をひらく秘密の鍵とは、まだ誰も知らなかった。
全国各地の戦国期の甲冑を所蔵していそうな美術館、博物館にかけつづけた。
「冑佛など、見たことも聞いたこともありません」
仙台博物館
「似たようなものはあるが、私は出張で、十二月十日すぎでないと帰ってこない」
山形県、上杉神社
「上杉家に伝わる『御懸守』がそれによく似ている。厨子は二つあるが、その資料をコピーして郵送しましょう」
京都国立博物館
「戦国期の武将が、前立てに何をつけてもおかしくはない。その人が信じている神仏を身につけ戦場におもむくのは考えられないことではない」
上杉謙信の菩提寺、越後の林泉寺
「兜守りは十五体ぐらいありますよ。一寸から一寸半くらいの小さな仏さまです。足軽は仏のすがたやお経を木版刷りにしてお守りにした。もうすこし位が高くなると、木像を腰につるしたりした。
ただ、厨子に入っているものは見たことがない。よほど位の高い武将のものだろう」
冑佛伝説より
先日、冑佛伝説の著者、河村隆夫氏が浜松市中区の宗円堂を訪れた。
ここ宗円堂に伝わる「徳川家康公勝軍地蔵尊像御守佛/一寸八分伽羅香木」を見るためだ。
もちろん私もその場にいた。名刺の交換もさせていただいた。短い時間ではあったがお話も伺えた。
中でも特に印象に残ったことがある。
河村氏が御守佛を見る目は非常に研ぎ澄まされいた。
がしかし、白い手袋をはめ御守佛を持つ手は誰が見てもわかるほど震えていた。
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