齋藤彦徳師範追善射会 令和5年12月9日
「おとなの弓日」
流派弓術の継承
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日置流印西派作手十二所神社矢場元
『齋藤彦徳師範追善射会』
令和5年12月9日(土)
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日置流印西派齋藤彦徳師範の追善射会に参加。
愛知県新城市作手高里。
この地域の12月と言えば、雪が降り凍てつく寒さの日もあると言う。
しかし、この日は違った。
日向に出れば暖かな陽気で、まさに齋藤先生が出迎えてくれたような温和な追善射会となりました。
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「齋藤彦徳師範」
新城市功労者の1人で元作手村教育長
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齋藤先生さんは、小中高と生まれた作手地区で育ち、昭和35年作手村役場の職員となりました。平成5年3月~11年9月までの約6年半、教育長を務めました。「歴史が伝わってきた韓国との交流が大切」と、作手中学の韓国への修学旅行を始めました。
弓道5段で、後輩の指導にもあたり、海外旅行にもよく出かけたそうです。若い頃から歴史に興味を持ち、古文書の研究をし、講演も行ってきました。幕末の新城城主菅沼定邦の用人・池田主鈴寛親の随筆古文書を解読した「池田主鈴寛親」、戦国時代の三河の合戦をまとめた古文書を解読した「三河国軍(いくさ)物語」などを自費出版しています。
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息子さんの話
(齋藤雅彦さん/日置流印西派)
「ユーモアがあり、好奇心旺盛で頭の回転の早い人だった、誰とでも話をし、のんびりしていることはなかった」と振り返り。
『歴史は繰り返す。歴史を学ばん人はだめだ』と言っていた」と思い出を話して頂きました。
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銀的(追善)は、日置流雪荷派の水野義博さんが見事射抜かれた。
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※画像はランダム掲載
▶生前の斎藤先生
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