第58回長篠合戦のぼりまつり

カテゴリー │遠州鎧仁會おとなの弓日/流派弓術の継承

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おとなの弓日(きゅうじつ)
~流派弓術の継承~
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「第58回長篠合戦のぼりまつり」
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令和5年5月5日(祝金)
愛知県新城市長篠城祉にて4年ぶりに開催された、第58回長篠合戦のぼりまつりに三河日置流雪荷派として具足弓演武に参加。
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この日も大変良い天気に恵まれ4年ぶりともあり大変多くのご来場者を迎えた中、私毎としてはぶっつけ本番の進行役を務めることとなりましたが、大きなミスも無くなんとか役目を終えることができました。
また、会としても全員が怪我なく事故なく演武をやり切ることができ、良き一日を過ごすことができました。
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長篠合戦のぼりまつりの関係者の皆様。ここまでの準備。当日の進行及び後片づけまで。大変ご苦労様でした。
また来年。何卒宜しくお願い申し上げます。
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Photo by
T.IMAIZUMI
Y.SHIRAISHI
Y.FUJITA
N.FUJIMOTO
※カメラマンの皆様に感謝です。
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画像掲載:ランダム

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砥鹿神社例大祭弓道大会

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承


おとなの弓日(きゅうじつ)
〜流派弓術の継承〜
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『砥鹿神社例大祭弓道大会』
 愛知県豊川市
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令和5年5月4日(祝木)
愛知県豊川市にあります、三河国一宮砥鹿神社例大祭弓道大会に参加。
この日は例大祭ともあり県内外からのお客さんや出店の数もかなり多くとても賑あっていた。
また、この日は自らが金的を射抜くことができ、祝的も普段は立ち入ることのできない本殿にて執り行って頂き、誠に感激しております。
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大会関係者の皆様。砥鹿神社様。
この度は大変お世話になりありがとうございました。
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「79年という歳月」
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砥鹿神社にある先人の奉納額
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砥鹿神社弓道場には、私が所属している牛久保八幡社矢場の先人師範代・中村小七忠久さんの奉納額がある。
この方は、奉納額の他にも記録があり、大正、昭和と活躍された三河の弓引きのお一人である。おそらくこの他にも奉納額はあることと思うが、ここにある奉納額は門人時代の金的中額。そしてその10年後の師範時代の金皆中額が飾られている。
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●門人(平弓)→目録免許→免許皆伝(師範)
●金的中→金皆中
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▶︎門人時代の中村小七忠久さんの奉納額(89年前)
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日置流雪荷派 中村又蔵門人
謹奉鵠中 中村小七忠久
昭和9年(1934年)5月4日 
※謹奉鵠中→日置流雪荷派では金的中を謹奉鵠中と書く
▶︎師範時代の中村小七忠久さんの奉納額(79年前)
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日置流雪荷派
金皆中 中村小七忠久
昭和19年(1944年)4月4日 
※金皆中→金的と五寸八分の的に甲乙の一手を中てること(雪荷派)
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牛久保八幡社若葉祭・神事的

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承三河日置流雪荷派牛久保矢場

おとなの弓日(きゅうじつ)
〜流派弓術の継承〜
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『牛久保八幡社若葉祭・神事的』
 愛知県豊川市
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4月9日(日)
愛知県豊川市で開催された牛久保八幡社若葉祭・日置流雪荷派の神事的に参加。
この日は通常ならば矢道にある桜が満開なのであるが、今年は葉桜の下での楽しい射会となった。
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またこの日の金的中者は同門の牧野陽太さんが見事射抜かれました。
おめでとうございます㊗️
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『金的』
 神事的の金的は、15間(約27m)はなれた金的1寸8分(約5.5㎝)を射当てるもの。
直径一寸八分の金的の裏には「鬼」という文字が刻まれ、悪霊とか災いを象徴的にあらわしています。
金色をしているために的が立派と思われがちだが実際には鬼の化身です。
金的を射止めなければ厄払いが済まないという理由から山車や行列が、神社の境内から出られず、祭礼が始まらないといった事態も、昔は起こったそうです。
金的はあくまで鬼の化身であるため、一度かけた的には決して手を触れてはならないと言い伝えられています。
普通の的の場合、的を射抜いてはじめて的中だが、金的は射抜かなくても、かすって傷が付いたり、的が動いて落ちたりした場合でも的中とみなされます。
又、塵払(じんぱ)と呼ばれる一度地上に落ちた矢でも構わないとされます。
そのため、串を使わずお奥行きの深い的をしっかり埋め込むようにかけることが必要とされ、金的の上には眉毛を模した杉などの小枝が掛けられ、御弊で囲われます。
古老たちは今でも、的の上をトサカ、的の下を喉という言い方をすることがあります。
金的はあくまで神事であり、競技のための的ではないと考えられています。


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豊川市八幡宮大祭前日

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承

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おとなの弓日(きゅうじつ)
〜流派弓術の継承〜
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『豊川市八幡宮大祭前日』
愛知県豊川市八幡町
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4月8日(土)
豊川市八幡宮大祭の前日(ぜんび)に参加。
少しの肌寒さはありましたがお天気も良く通常開催に戻りつつある弓日和を楽しむことができました。
また、この日は自身が金的中することができこの由緒ある大矢場に金的中の額を奉納できる事を誇りに思います。
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豊川市八幡宮の関係者の皆様。
この度も大変お世話になりありがとうございました。
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最後に、、。
『神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ』
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『豊川市八幡宮』
●白鳳時代に大分県の宇佐八幡宮から勧請された社で、奈良時代に入って三河国分寺が造立されるとその鎮守の神となり人々の尊崇を受けました。
現在の本殿は、文明9年(1477)に建立されたもので、室町期の神社建築の特徴をよく表現しており、明治40年に国の重要文化財に指定されています。
●50畳程の射小屋は伝統的なお祭り矢場の造り。
●所狭しと掛けられた金的奉納額。額として確認できるのは、333年前の貞享二年(1685年)の額がある。
●この矢場の象徴と言えば日本一高さのある、垜(あずち)。
その位上的(いあげまと)には、三尺、二尺五寸の的が上がる。的をかけるのも大変な作業である。
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第67回静岡まつり

カテゴリー │遠州鎧仁會古式砲術(駿府鉄炮衆)


「第67回静岡まつり」
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令和5年4月1日、2日
静岡市にあります駿府城公園にて、
第67回静岡まつりが開催。
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1日(土)
遠州鎧仁會→登城行列参加
駿府鉄炮衆→火縄銃演武
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2日(日)
駿府鉄炮衆→火縄銃演武
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静岡まつり関係者の皆様。
準備等、ご苦労様でした。
また来年も宜しくお願い致します。
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アカウミガメの産卵地保護

カテゴリー │My Favorite/私の好きなもの


「見つめる・認める・見直す」
〜あなたのまわりでおきていること〜
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令和5年2月26日。本日は、「アカウミガメの産卵地保護」の署名に行って参りました。
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370億円〜70億円の野球場。
本当に必要だと思います⁉️
またその付近にある中田島砂丘は、絶滅危惧種・アカウミガメの産卵地です。
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リニアの問題もそうだが、日本人ってこうした自然環境や動物への関心、そして配慮って異常に低いですね。
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◆浜松市へ建設の新野球場
▶︎照明無し→1万3000人収容→70億円
▶︎ドーム型→2万2000人収容→370億円
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◆詳しい内容はコチラ
https://news.yahoo.co.jp/.../9b7946483208176ea82f2fb38e75...
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◆アカウミガメの産卵地を守る署名活動
特定非営利活動法人
サンクチュアリN.P.O
浜松市南区中田島1672-3(中田島砂丘入口)
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『弓始式』と『新年射会』 三河国・砥鹿神社

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承

おとなの弓日(きゅうじつ)
〜流派弓術の継承〜
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『弓始式』と『新年射会』
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令和5年1月8日。
豊川市一宮町の三河国・砥鹿神社で、新春恒例の「弓始式」(ゆみはじめさい)が行われた。
弓始祭とは、社殿前で行われる奉射神事で、鯛が掛けられた鯨幕に「鬼」に似た字が書かれた的をつるし、県弓道連盟の二人の射手が交互に2本づつ、黒木の弓で放つ白羽の矢で射止めて一年間の邪気を振り払うもの。
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弓始式後は、砥鹿神社内の弓道場にて新年射会が行われた。参加人数は33名。
今年もやはりコロナ禍対策とし、時間短縮され内容としては、金的、尺二的一手×3回(6射)が行われ、今年の金的中は、三河日置流雪荷派牛久保矢場 故山本良輔門人の伊藤賀一が射抜きました。
ちなみに、新年射会は6射4中で3位(同中3人)でした。


























 

遠州・三河の八幡八社めぐり

カテゴリー │遠州鎧仁會神社・寺・史跡My Favorite/私の好きなもの

「遠州・三河の八幡八社めぐり」
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恒例となった、新年「遠州・三河の八幡八社」をめぐる一日。
今年も元旦3日に決行。
男三人で楽しい一日となりました。
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②若宮八幡宮(磐田市)
③事任八幡宮(掛川市)
④府八幡宮(磐田市) 
※大樹寺(岡崎市)
⑤上地八幡宮(岡崎市)
⑥伊賀八幡宮(岡崎市)
⑦豊川八幡宮(豊川市)
⑧牛久保八幡社(豊川市)
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①浜松八幡宮(浜松市)→元旦
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「八幡神・弓矢神」
 八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。
日本においては弓矢の神ではなく「弓矢神」という一つの単語になっていて、応神天皇(八幡神)のことでもある。応神天皇を祀っている八幡神社の数は、稲荷神社に次いで全国第2位で広く信仰されてきた。また弓矢や運命や確率に関わり幸運を願う時には「八幡」という語が使われてきた歴史があり、八幡は祈願と弓矢の意味が一体となす語として、射幸心という語の語源ともなった事由である。これらのことからも古くから弓矢が信仰の対象となってきたことが窺える。また八幡神は八幡大菩薩としても夙(つと)に知られ、「南無八幡」と言う慣用句からもうかがい知ることができる。
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『神は人の敬いによりて威を増し、
  人は神の徳によりて運を添ふ』
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「射幸心」
射幸心(しゃこうしん、射倖心とも)とは、人間の心理として「幸運を得たい」と願う感情のことで、その心理的な欲求を抱く状態を意味する。しばしば「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい」という心理状態をも含む。古くから人は幸福を願うことにおいて、様々な儀式や占いや競技の結果の善し悪しで未来を予想したり、その結果に備えたりしてきた。そのような意味で風習や習慣やあるいは宗教儀式などの形で祭りや神事に姿を変え継承された文化も人間の射幸心によって体現されたものと解釈できる。
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「夙(つと)に」
ずっと以前から。早くから。
「彼は夙にその名を世に知られていた」






 

令和5年元旦 「浜松城お持て成しと家康公ゆかりの三社参拝」

カテゴリー │遠州鎧仁會




一年の計は元旦にあり
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令和5年元旦
「浜松城お持て成しと家康公ゆかりの三社参拝」
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※家康公ゆかりの三社
浜松八幡宮(八幡町)
浜松秋葉神社(三組町)
浜松五社神社・諏訪神社(利町)
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令和5年元旦。
毎年恒例の浜松城お持て成しと家康公ゆかりの三社参拝の日であった。
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一昨年は城内がリニューアル。
昨年は外観がお色直しされた浜松城。そして今年は、大河ドラマ「どうする家康」が放送されると言うことで、初日の出を迎える浜松城は賑わいをみせていました。
今年は関東圏からのお客さんが多く見られました。
また、今日も含めお持て成しを行う場所場所で耳にするのが、「今回で3回目です。一年の記念としてまた一緒に写真を撮りたくて来ました。」と言うお客さんが来てくれる。次はどこでお持て成しされるのですか?とも。
嬉しい話しですね。
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浜松秋葉神社さんでは地元の消防団さんとも今年で2回目の遭遇。
年一でもなんだか嬉しい。笑
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今回ご来城下さったお客様。
そして浜松城やホテルコンコルド浜松の皆様。
ゆかりの三社の皆様。
色々とお世話になりありがとうございました。
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「時代まつりの件」
令和5年前半の行事
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・3月26日(日)
▶︎高天神社例大祭
(駿府鉄炮衆火縄銃演武と遠州鎧仁會お持て成し)
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・4月1日(土)2日(日)
▶︎静岡まつり
(駿府鉄炮衆火縄銃演武と遠州鎧仁會お持て成し)
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第23回信長公黄葉まつり

カテゴリー │遠州鎧仁會古式砲術(駿府鉄炮衆)


『第23回信長公黄葉まつり』
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令和4年11月12日(日)
第23回信長公黄葉まつりに参加。
コロナ禍対策として2年の開催中止。しかし今年は大幅な時間短縮をしてでも開催したいとの関係者の思いがあり3年ぶりの開催となった。
おかげさまを持ちまして、「遠州鎧仁會お持て成し」、「駿府鉄炮衆火縄銃演武」、怪我なく事故なく無事終えることができました。ありがとうございました。

そして今回も嬉しい出来事がいくつもありました。

お客さんが。
子供達が。
鎧武者を怖がっていた子が。
小学生だった子が中学生になって。

また私達に会いに来てくれたのです。
3年前の写真を見せてくれたご家族もいらっしゃいました。
あの時は黒い鎧を着てましたが、今日は赤なんですね。って。
嬉しいですね〜。
長くやっていると。また長くやっていないと得られない感動です。
また来年も会いましょうね。

ご来場のお客様。
皆様のおかげをもちまして私たちも楽しい一日を過ごすことができました。
ありがとうございました。

最後に。
関係者の皆様。
毎回の計画とご準備等。
本当にご苦労様です。
いつもいつもお世話になり本当にありがとうございました。
また来年も宜しくお願い致します。
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※子供たちが持っている火縄銃は、すべて木製のレプリカです。

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大道芸ワールドカップin静岡& 駿府城公園お持て成し

カテゴリー │遠州鎧仁會


『大道芸ワールドカップin静岡』&
『駿府城公園お持て成し』

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ストリートパフォーマンスの祭典「大道芸ワールドカップin静岡」が5日、6日と静岡市内で開催され、私達遠州鎧仁會は6日、駿府城公園内の一角にあります「坤櫓(ひつじさるやぐら)」を中心に、ご来城くださるお客様を持てなした。
この週末もお天気は良く、尋ねたところ県外のお客様も数多くご来城下さった。
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「大道芸ワールドカップin静岡」は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、開催は三年ぶり。外国人を含む国内在住のアーティスト三十二組四十七人が市内十五会場で巧みなジャグリングやアクロバット、パントマイムを繰り広げ、街を陽気に盛り上げた。
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また、メイン会場の駿府城公園では、2017年チャンピオンで中国出身の張海輪(ちょうかいりん)さんが、椅子を積み上げたアクロバットや、一瞬で仮面を変える中国の伝統芸能「変面」などを時間をあけた二公演で披露。最終回ではお持て成しを終え間近かで観ることができました。感激‼️
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最後に。
大道芸関係者の皆様。スタッフやボランティア皆様。お疲れ様でした。
また、ご来城の多くのお客様方。
ありがとうございました。
今回、開催できて良かったと思います。また来年、お会い致しましょう。
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鎧仁會御朱印

カテゴリー │遠州鎧仁會

『鎧仁會御朱印』
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▶️お持て成し時にて
▶️地元書家&遠州鎧仁會
▶️毎回限定20名様
▶️無料(お一人一枚)→条件有り
▶️条件→ご自分の御朱印帳またはクリアファイルをご持参ください。お持ち帰り時の紛失や汚れ等防止の為。
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「書」は、地元の書家・梅谷彩雲さんにご協力頂きました。
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「書」=虹嶺庵 梅谷彩雲
「印」=忠恕
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『忠恕』
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家康公朱印『源家康忠恕』
(みなもとのいえやすちゅうじょ)
家康公が良心と思いやりによって「仁」の心を広める、という意味。
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家康公の朱印は、縦8.8センチ、横8.4センチと言う大きな正方形に近い印章。外交文書及び渡海許可状に押捺された。朱印の文字は、6文字のように見えるが、実際には、5文字で「源家康忠恕」と彫られている。
方広寺鐘銘「国家安康」で家康公の名前が半分に分かれた、ということで問題とされたが、実際には家康は諱であり、死後に使う諱を鐘銘に使ったことが問題とされた。ただし、例外的に外交など公式文書では源家康と名乗った。忠恕は良心と思いやり。
すなわち、家康公が仁の心を広める、と言う意味。
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『忠恕』
「忠」=自分の良心に忠実であること。
「恕」=他人に対する思いやりが深いこと。
「忠恕」をひとつの漢字「仁」で表す。
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『仁』 
仁とは人なり
仁は、愛や寛容、同情や慈悲、憐憫(れんびん)の情を持つ人間の魂のあらゆる性質の中で最高のものだ。
仁は、人の上に立つ者に必要な、王者の徳ともいわれる。
孟子はいう。
「仁がなくても国を得ることはできる。だが、仁がなければ天下は取れない」と。
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天竜産業観光まつりと信康行列

カテゴリー │遠州鎧仁會


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『天竜産業観光まつりと信康行列』
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令和4年11月3日。
3年ぶりとなる、「天竜産業観光まつり」が浜松市天竜区二俣で開催された。
暖かな小春日和な一日となった天竜産業観光まつりは、大変多くのご来場者で賑わいました。しかし、以前行われていた、産業観光まつり内の『信康行列』は中止となり、私達や以前の信康行列を知る関係者や地元の方々からは少しばかり寂しげな声が聞かれました。しかし、そうは言っても出陣した以上はと、信康公の二俣城へ出向き、そして信康廟へのお参りはさせて頂きました。また本日は将来有望であることでしょう少年武者たちがご来場くださり一緒に写真を撮ったり鎧仁會御朱印を手渡したりと楽しい一日でありました。
本日ご来場くださった皆様。
関係者、出店者の皆様。
そしてNHK番組な皆様(偶然)。
お世話になり本当にありがとうございました。
「感謝、感謝、感謝です。」




































 

十二金の由来について

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承


「おとなの弓日」
~流派弓術の継承~
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▶️白鳥神社垣野弓道場落成記念奉納額について 
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「十二金の由来について」
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 古代の中国に於いて国家の重要な式典で、式場に皇帝の入退場するときに演奏される中和韶楽を奏でる、編鐘で、金・石・糸・竹・瓢箪・土・皮・木・によって作られた、八種類の「八音」と呼ばれる楽器と詠唱者によって、奏させられたと伝わっています。
 編鐘は、その内の金に相当する楽器で十六個の鐘からなっていて、

倍征則(ばいいそく)、
倍南呂(ばいなんりょ)、
倍無射(ばいぶえき)、
倍応鐘(ばいおうしょう)、
黄鐘(こうしょう)、
大呂(たいりょう)、
大簇(たいそう)、
夾鐘(きょうしょう)、
姑洗(こせん)、
仲呂(ちゅうりょう)、
蕤賓(ずいひん)、
林鐘(りんしょう)、
夷則(いそく)、
南呂(なんりょう)、
無射(ぶえき)、
応鐘(おうしょう)

と定められ、黄鐘は十二音階のEに似た音で、この音階は現在でも和楽器には用いられている様子です。
 劉向説苑と云う中国の古書の十九巻修文19の中に「黄帝、伶倫に詔し音律を作らしむ」とあります。伶倫は崑崙の下にある嶰谷(カイコク)で竹を取り、両節の間を取って、長さ九寸の笛を十二管作り鳳の鳴き声を元に十二音律に分けて、

大簇:正月 
夾鐘:二月
姑洗:三月
仲呂:四月
蕤賓:五月
林鐘:六月
夷則:七月
南呂:八月
無射:九月
応鐘:十月
黄鐘:十一月
大呂:十二月

と定めて各々月の音色としました。
其の音色は、「微にして均鮮全てを傷つけず」と云われ、其の笛の音色の徳は、「大聖の徳を象るに、もって至賢の功を明らかにすべし、故に之を宗廟に薦し、歌をもってこう得を迎え、世々忘れず」又、「天地の風気十二律を正す也」」と書かれています。
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以上のような事柄から金的を十二個懸けて、各々名前を付けつけて、徳を祈願したものと思われます。
美濃の東美濃や三河地方では、古来より、お祝い事があると十二金を引き、的中者には額にして奉納するしきたりが、伝統行事として行われています。掲額は神社仏閣によく見受けられます。
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徳田雅彦 記す
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※ 資料提出 藤本きみよさんより
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中和韶楽
https://japan.visitbeijing.com.cn/article/47iAcm6KO3Y
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劉向説苑
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000327254
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土岐白鳥神社例大祭

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承


「おとなの弓日」
~流派弓術の継承~
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『土岐白鳥神社例大祭』
令和4年10月1日(土)

▶️37矢場目(弓道場含む)
※正式な祭典・大会への参加
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先日は、岐阜県土岐市にあります白鳥神社例大祭に参加。
初参加の白鳥神社でしたが、なんとも趣きのある神社でして、こういう神社(矢場)好きなんですよねー。
またこの日は絶好のお祭弓日和となり、またさらにお昼ご飯の混ぜ御飯やお味噌汁、おでんもとても美味しかったです。
ホント、楽しかった。
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白鳥神社祭典関係者の皆様。
当日の運営やご準備等、ご苦労様でした。お陰様で楽しく一日を過ごすことができました。
ありがとうございました。
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尚、この日の金的は、大和流の加藤啓一さんが見事射抜かれました。  
おめでとうございました。
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徳川家康から厚偶された三河の弓

カテゴリー │お城おとなの弓日/流派弓術の継承三河日置流雪荷派牛久保矢場


「おとなの弓日」
〜流派弓術の継承〜


『徳川家康から厚偶された三河の弓』
家康を支えた三河人


 新城市長篠城祉史跡保存館
    令和4年10月31日まで


▶️企画展の概要
  本企画展は、長篠城址史跡保存館で収蔵している資料の中から「弓」をテーマに展示を行っています。
三河地域の神社では、「金的奉納額」が掲げられている事を目にすることが多くあると思います。これは16世紀中頃に徳川家康が駿河・遠江・三河の3国の住人に弓の使用を許したことにそのルーツがあると思われます。このことについて、本企画は元康(家康)の署名がある資料「弓の事(写)」や江戸時代の弓道師範による「金的奉納額」の一般公開を通して、市民の方を始め多くの人に、三河地域と徳川家康との繋がり・関係性の一旦を知る契機となることを目的に開催をしています。


▶『林高英師範』
 林高英は、長篠の地域を収めた代官であり、同時に弓の師範として門下生が700人以上を数えたという。

▶️画像説明①
史跡めぐり案内コーナーでの一枚は、、。
左 日置流雪荷派渡辺二朗さん
中 林正雄さん(林高英師範末裔)
右 私
平成27年(2015)5月5日
長篠城祉史跡保存館前にて

▶️画像説明②
岡崎市桜形神社にある「弓の事」の石碑

▶️画像説明③
金的中の奉納額
豊川市八幡宮、牛久保八幡社












































































































▶林さんから送られた小冊子

















 

陰祭りと目録披露

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承三河日置流雪荷派牛久保矢場


「おとなの弓日」
~流派弓術の継承~


『陰祭りと目録披露』
令和4年9月11日(日)

牛久保八幡神社の陰祭り(かげまつり)にあわせ、三河日置流雪荷派牛久保矢場門人の「目録披露」が執り行われた。
今回目録免許を頂くのは7名。
三河日置流雪荷派の射手の資格には、
「平弓(ひらゆみ)」「目録免許」「免許皆伝」と三段階があり、目録免許とは門弟を持つことの出来る免許皆伝のための一里塚と位置づけられる。
また、目録免許を得る基準の中の一つに、このようなお客人を招いてのお祭弓開催(構成・準備・作法)の全てを師範と共に務めあげることができる。ということが重要なのである。
目録免許とは、個人の弓の技術や知識だけでなく、人様のお世話ができる人間性と実行力が重要なことなのだ。

三河日置流雪荷派牛久保矢場門人・伊藤賀一。
これを機に、さらに精進し務めて参ります。
皆様方。
今後共、何卒宜しくお願い申し上げます。


「金的中」
 ●陰祭り  
  日置流雪荷派 工藤俊二さん

 ●目録披露
  日置流雪荷派 早川嘉喜地先生






























































































 

足助八幡宮八朔祭

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承

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「おとなの弓日」
〜流派弓術の継承〜
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『足助八幡宮八朔祭』
令和4年8月27日(土)
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「足助八幡宮」
http://asuke.info/view/temple/entry-54.html
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愛知県豊田市足助町にあります、足助八幡宮八朔祭に参加。
この足助八幡宮は景勝地でも有名な香嵐渓の近くに位置する由緒ある神社であり、以前から参加してみたいと思っていたお祭弓である。
久しぶりのお祭弓。楽しかったです。
尚、この日の金的中は日置流雪荷派の内藤茂さんが一寸八分の金的を見事射抜かれました。
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足助八幡宮お祭弓関係者の皆様、暑い中の準備等お疲れ様でした。
お陰様で楽しい一日を過ごすことができました。
本当にありがとうございました。
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八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことである。
新暦では8月25日頃から9月23日頃までを移動する(秋分が旧暦8月中なので、早ければその29日前、遅ければ秋分当日となる)。
この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実節句(たのみのせっく)ともいう。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。
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山本良輔師範追善射会 令和4年7月24日

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承三河日置流雪荷派牛久保矢場


「おとなの弓日」
~流派弓術の継承~


三河日置流雪荷派
『山本良輔師範追善射会』
令和4年7月24日(日)

三河日置流雪荷派牛久保矢場の師範、山本良輔先生の追善射会に参加。

 師匠は牛久保の矢場に来られ私の顔を見ると、「あんたよく稽古しとるね。あんたの射なら今にパカスカ(笑)中るようになるで」と、いつもニコニコしながら声をかけて頂きました。
そして、都度さりげなくアドバイスもして頂きました。ありがたかったです。それに楽しかったです。
私などは短い間ではありましたがそれでも本当にお世話になりました。
感謝です。私は師匠の門人になることができ本当に良かったと思っております。
師匠。本当にありがとうございました。これからも頑張ります。



「三河日置流雪荷派追善的の概要」
・矢場内は白幕で覆う
・安土に御幣は立てない
・本置は金的ではなく銀的(一寸八分)を使う
・杉の葉は若葉ではなく枯葉を使う
・星的は使用しない(白的)
・弦輪の赤は白布を巻いて隠す
・矢もなるべくなら白羽を使う
・参加者全員が各自の流儀にしたがい一手射礼する
・位上げ的中時、「お祝い」の言葉はかけない






































































































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師匠と(右から二番目)






師匠に書いていただいた、最初の謹奉鵠中(金的中)の扁額 蔭涼寺(愛知県田原市)に奉納





牛久保矢場(愛知県豊川市)に奉納されている謹奉鵠中(金的中)の扁額 






 

映画 『峠・最後のサムライ』

カテゴリー │おとなの弓日/流派弓術の継承三河日置流雪荷派牛久保矢場

「おとなの弓日-SPECIAL」

映画 『峠・最後のサムライ』

家訓 『常在戦場』と『常在館』



映画 『峠・最後のサムライ』
https://touge-movie.com/
2022年6月17日全国公開

幕末の動乱の中で戦いのない世を願った最後のサムライ 越後長岡藩家老・河井継之助(かわいつぎのすけ)

《物語》
 1867年(慶応3年)年、260年余り続いた徳川幕府は、大政奉還により終焉。諸藩は旧幕府軍と新政府軍の東西に二分、戊辰戦争が起きる。越後長岡藩の家老、河井継之助は両軍に属さない武装中立を目指すが、時勢が許さず残念。徳川譜代として新政府軍を迎え撃つ決断を下し、最後の戦いに臨む。


☆河井継之助の長岡藩と三河日置流雪荷派との意外な関係

☆常在戦場
河井継之助→長岡藩→藩主牧野家→東三河牛久保→常在館(三河日置流雪荷派)


『常在戦場』
常在戦場とは、、。
意味は「常に戦場にいるような心持ちでいること」

 「常在戦場」の読み方は「じょうざいせんじょう」。
「常に戦場にいるような心持ちでいること」を説いた四字熟語だ。戦場は生きるか死ぬかの過酷な場所で、一瞬たりとも気を緩めることはできないことから、常に戦場にいるかのような緊張感を持って物事に取り組むことの大切さを表現している。


由来は江戸時代のある一族の家風

 「常在戦場」は、牧野家という戦国時代から江戸時代に活躍した一族が家風としていた言葉。牧野家は、三河国牛久保城(みかわこくうしくぼじょう)という、現在の愛知県豊川市牛久保町に存在した城の城主だった。この場所は、交通の要所となっており、西から東、北方と各方面から敵の勢力の脅威にさらされる場所にある。そうした環境から、平常時であっても気を緩めずに戦場にいるかのような心持ちで物事に取り組むことを「常在戦場」と表したと言われている。

 牧野家は江戸時代に長岡藩(現新潟県長岡市)の藩主となり、「常在戦場」を藩風・藩訓として掲げた。その後、幕末の北越戊辰戦争時に、長岡藩を指揮していた河井継之助や、連合艦隊総司令長官であった山本五十六が積極的に使用したことから全国へと広まっていく。


『常在館とは』
 牛久保八幡社矢場元・故山本良輔日置流雪荷派師範(2021年没)が命名した。三河日置流雪荷派の矢場(道場)のことである。



『長岡藩主・牧野家』
 牧野の祖は、第八代孝元天皇のひ孫武内宿禰(たけうちのくすね)の第四子平群木菟宿禰(へぐりのづくのすくね)である。
初めは田口姓を称し、その祖は阿波民部少輔田口重能(あわのみんぷしょうゆうしげよし)とされる。
重能(しげよし)は阿波国の豪族として大きな勢力を持ち、源平合戦時には平家方に着いたが、やがて源氏に味方し後に讃岐国に移り住んだとされる。
その後、応永年間(1934〜1428年)に四代将軍足利義持の命により讃岐国から三河宝飯郡牧野村(現在の豊川市牧野町)に移住して牧野姓を名乗り牧野城を築いた。
戦国動乱期の東三河において勢力を持った牧野一族は、今川氏・松平氏(後の徳川氏)のはざまにあって牧野城・瀬木城・今橋城(後の吉田城)・牛久保城などを築きながら勢力を広げて戦国の世をしぶとく生き残った一族である。この時代に養われた『常在戦場』の精神は後の長岡藩の藩訓となっている。
 初代長岡藩主忠成(ただなり)の祖父・成定(なりさだ)の代に徳川家康家臣・酒井忠次(ただつぐ)配下の東三河国衆として徳川軍に所属し、そのまま家康の関東移封に随従して天正18年(1590年)群馬県前橋市東部となる上野国大胡藩2万石の藩主、元和2年(1616年)越後長峰藩5万石藩主を経て元和4年(1618年)越後国長岡に入封した。
牧野忠成を初代と数え、十二代忠訓(ただくに)まで移封される事無く譜代大名長岡藩牧野家は続いた。
その間幕府の最高職である老中を、九代忠精(ただきよ)、十代忠雅(ただまさ)、十一代忠恭(ただゆき)と三代続けて輩出している。